ケータイの番号を丁寧な女性に伝えて早々に電話を切った。放射線科の扱う緊急オペ、脳梗塞とか心筋梗塞のアンギオ(血管造影)とか、交通事故の止血のためのIVR(血管内治療)とかだろう。どちらも緊急性が強いし、いつ起きるかわからないので、放射線科医は休みの日もPHSを持たされて当番でON CALLになっている。市民病院は救急指定だから、当然、読影以外の仕事も多いだろう。それに放射線科医は法医学者と同じでどこも慢性的に人手不足となる。

 衝動的な電話を切った途端、僕は急に申し訳ない気分になった。今頃、X線画像を3Dで構成した画像モニターを見ながらどこかの血管にステントを入れたり、事故による腹腔の大出血の部位を特定し適切な塞栓物質を注入したりして、人の命を救っているのだろう。僕が“今すぐ来て、早く殺して”と言うための電話を掛けている時に、優秀な清水センセはきっとどんな機械やオペレーションでも手際よくこなしてるんだろう。

 僕の知らない清水センセの日常に触れる。どんなに破綻した迷惑な性格だろうが、誰も彼もが僕よりずっと有能で世界に貢献している。強引で自分勝手な幸村さんも、エキセントリックで感傷的な佐伯陸も、そして激情的でメンヘラな清水センセも。そして再び強く思う。僕を望みを叶えるためにこの人を司法に渡すようなことになっては絶対にダメだと。僕を殺すことを彼自身が望んでいようとも、僕を殺すことで彼の社会性を抹殺するなどということは絶対にしてはならないと。そもそも、僕を殺さなければ良いだけなのに、僕も彼もそれを望んでいることが問題なのだ。その願いを諦めたほうが良いのかも知れなかった。現実にそのほうがどれだけ生産的な選択だろうと思う。数少ない放射線科医であり法医学者である彼。それもとても有能で、人を生かし、殺人を指摘し、地域の市民生活の安全にも寄与している彼。なぜ彼は僕なんかに拘泥しているのだろうか。

 古い映像の中の僕と現実の僕の間にはすさまじい乖離があると思える。長年の妄想で歪曲し肥大した理想の僕を求めていた彼がそれを知れば、期待はずれの僕への妄執は瓦解し、自分自身の真の人生へと漕ぎだせるに違いない。そして彼は再考させられる。自分が法を犯してまで岡本裕を殺す価値があるのか、ということを。そして僕が殺されたいという渇望を手離せるなら、もしくは我慢出来さえすれば…

 僕はようやく顔を上げた。本人に繋がらなくて良かった。現実という冷水をかぶったみたいな気分になった。煮えた頭がそれで少し冷えたのかも知れない。電話番号なんか残すんじゃなかったと後悔したが、でもいい。電話が来たらさっき考えたことを言えるのだから。