だから、それは罪じゃない。罪じゃないんだ。僕はいつの間にか膝の上で拳を握っていた。もし清水センセが僕のために法の番人に捕まるようなことが有るとするなら。そう思うと怖気が走った。僕のたった一つの望みを叶えてくれるあの人を裁判官などに裁かせるわけにはいかないのだ。絶対に。佳彦だって、もしこれが犯罪にならなければ僕を殺すことに躊躇はなかったろう。僕だけを殺したいならば、だが。

 あの時の、佳彦と僕の、苦悶と悲壮とも言える決意が心によみがえる。殺したい佳彦、死にたい僕。もう少しで開くはずの死の扉の鍵と鍵穴。扉を開く殆どすべての条件がそこに整っていて、僕らを静かに待っていた。ああ、だがそれは叶わなかった。
 法が僕と彼の間に立ちはだかった。佳彦は恐怖と僕への怒りと後悔に震えながらその扉に背を向けた。僕は佳彦を唆し、その行為がどれだけ罪深いかをその直後に悟った。僕らは深い悲しみと絶望の中でその扉を拒絶し、そしてそれはどこかへ隠れもう見ることはなかった、そう、あの狂った警察医が現れるまで。失くしたはずの鍵と扉。サバトみたいな凄惨な儀式の後、それは突如として現れたのだ、僕の目の前に。

 悲鳴のような思考と記憶の中で、僕は今が朝であることを忘れていた。いつの間にか部屋の中がぼんやりとした朝の光で視界を取り戻していた。それに不意に気づいた僕は、自然に現実的な思考に立ち返っていた。それは、僕がただ無策に殺されるだけではダメなのだ、ということ。清水センセが罪に問われないよう、警察にも誰にも疑われないように細心の注意を払い、計画的に僕が〈自然に〉いなくならなければならないこと。僕がどこかで誰にも知られずひっそりと生きているという前提で、誰にも気づかれないようにひっそりと死に、清水センセは表面上、僕の消息になにも関わりなく生き永らえる。そのような類の計画のもと僕は殺されなければならない。だがもし、そのような対策をしたとしても万が一清水先生が警察に捕まって罪に問われたときには、これは岡本裕本人の意志であり、殺人ではなく自殺幇助であるという確実な証拠を残さなければならない。清水センセの罪を軽くするために。