「死せる孔明、生ける仲達を走らす…てな感じだな」
「大仰ですね」
「頭部の打撲痕だの頚部の扼痕なんか無かっただろ? 見逃してるとも思わないがな」
「はい。あの日は頭おかしい割には緻密に見たはずです」
「旦那の眠剤購入ルートがわかればまぁそれで進む」
「そもそもスマホを持ってたんですか?」
「嫁の証言も契約書もあった。他殺偽装の線で行くと、カード類と一緒に見つからんところに捨てちまった可能性は高いな。アカウント見つけて運営にサーバーから探させる方が早そうだ。殺しだったら間男から薬の足がついてもおかしくないけどな。一応調べさせてはいる」
「出ないのに?」
「まぁそう言うな。わかっててもやんなきゃんないことはある」
「もういいですか? 帰りますけど」
僕はパソコンの電源を落とし、席を立った。幸村さんが後ろから声を掛けた。
「これから飯でも食わねぇか?」
「僕は家に有りますので。食べ切らないともったいないでしょう」
「あの味噌汁と冷や飯か?」
「はい」
「まぁ、いいけどさ。いつものつれない岡本だな」
いつもの岡本、というのなら、佐伯陸は幸村さんになにも話していないのかも知れない、と僕は推測した。
「なにか問題でも?」
「いや、別に。じゃ、ありがとよ」
「お疲れさまでした」
「お疲れ〜」
珍しく僕には指一本触りもせず、すんなり幸村さんは帰っていった。たいそうホッとしたと同時に、どこかうっすらと拍子抜けした自分を怪訝に思いもしたが、それも自分の過剰防衛の成せる業ということにした。しかし直後に不意に湧いてきたのは、この幸村さんのすんなりも、あっさり帰った佐伯陸のような不穏の兆候なのではないか? という疑念だった。まさか、何も聞かなかった振りをして様子見しているのだろうか…そういうことは何気なくやりそうな気がする幸村さんの職業的な手練手管を僕は知っている。単細胞のフリした、しつこいやり手の強行犯の警部補を甘く見てはいけない、と僕は更なる警戒に入った。
しかし……。
よく考えてみれば、この男も凍死という不安定な自殺方法を選んでいる時点で、この世から確実に自分を消去するという強固な意志は無かったのかも知れない。いわば「賭け」のようなものだったのかも、と僕は不意に思いついた。死が自分に微笑んでくれるなら、生が自分をまだ引きとめようとするなら、そのどちらかの手に導かれよう、と、彼は運命とか言う不確かな何かに自らを委ねたのではないだろうか? 見つかりにくい山の中ではなく、里の、しかも車の中にわざわざ自分の身を置いたのも、誰かに発見される隙を作ったとも言える。もし自分が自死する運命だったとしたら、そのどれにもつまづくことなく、あの世に旅立てるだろう。そんな選択肢を彼は考えたのではなかろうか。それが無意識だったとしても。そしてその自死がやはり復讐だったとしたら、神にその復讐が認められるかどうかという余地を自ら残したという選択のために、死ぬ前に彼は自分の憎悪による行為を許したのかも知れない。
論理的な思考はそんなことを推測した。推測していると、またあの独白が僕の耳に微かにリフレインした…
(俺を置いていくな…)
憎悪? そんな激しい響きがあの声に籠もっていただろうか? 裏切者、という怨嗟の言葉でさえも?
いや、思い出すな。僕がまたおかしくなりそうになる。



