「奥さんは東京の人で、まぁ彼も同じく東京で暮らしてた。もちろん奥さんと二人で」
「へえ、ずいぶん遠くまで来て自殺したんですね」
「それがさ、あのね…なんか変なことになってるんだよね。奥さん本人の事情聴取では隠してたんだけど、旦那が死んだあたりのアリバイを追ってったら、なんとね、遺体のあったあの西側の山の向こうの湯川谷温泉郷って知ってるよね」
「ええ、なんとなく…」

 もしかするとそれは、僕が穂苅さんと過ごした温泉街のことかも知れない。地理に疎くて良くはわからないが。

「そこに泊まってたんだって。なんと浮気相手の男と一緒に」

(行くな…戻ってきてくれよ…)
(俺はここにいるから…)

 それを聞いてようやく、僕はあの男のつぶやきの意味がようやく理解できた。

「ああ、なるほどね」
「意外な展開でしょ」
「まぁ」
「あれ、驚かないね」
「あ、ええ。自殺の原因がわかったんで。なるほどなぁと」
「あそう、そうくるか」
「なにか問題でも?」

 堺教授は腕組みをして椅子をクルンと半回転した。

「自殺と見せかけて、妻と間男が共謀して夫を他殺、の線を洗う必要が出てきてしまったって幸村警部補が困ってたよ」
「出てきても立証できないのでは?」
「それがさ、なんか怪しい形跡がいくつかあってね、自殺の確定をするためにはその形跡を殺人と無関係だと確定する必要が出てきちゃったってさ」
「はあ、面倒ですね」
「そんなこんなで、幸村君が夕方過ぎに君の意見を聞きに来るって」
「え…」
「まぁ、よろしく頼みますよ。なにしろ幸村君は岡本君担当だし」
「そんな担当、した覚えありませんが」
「じゃあ、私は授業行ってきますよ」
「ああ、はい」

 教授が席を立ってもしばらく僕は立ち尽くしていた。今現在のこの気持ちで幸村さんと会うのかと思うと、暗澹とするような、胸の詰まるような二重の感覚を覚えた。しかもあの屍体のことで、だ。
 めまいがする。佐伯陸はすでに幸村さんになにか言っているのだろうか? 思わず机に両手をついた。固まったまま、僕はそこから少しの間動けなくなっていた。