田中さんに見送ってもらった。なにか決定的な変質した時間がこれから待っていて、その最後のはなむけに穏やかな田中さんの良識に溢れたごく普通の丁寧な見送りを受けたような気にすらなった。そこにはもう帰れない。だから田中さんは送ってくれたのだろう。妄想にしても妄想でなくてもそんな時間を僕にくれたような気がした。
水を飲み、ベッドに座ってしばらくぼーっとしたあと、歯を磨いて着替えてベッドに潜り込んだ。まだ昼下がりの3時過ぎだったが、意識を無くしたくて寝ることにした。
不意になにかの音で目が覚めると、ケータイが鳴っていた。今が何時かもわからないが、職場からだろうと思い、手探りでケータイを掴むとそのまま応答した。
「はい、岡本です」
「裕さん! ボクです! 陸です! ドア開けてくれませんかぁ?」
「は? 誰?」
寝起きの頭では内容がよくわからない。
「ボクですよぉ! 佐伯陸です。今ね、裕さんちのドアの前にいるの。開けてくれません?」
「え? 佐伯くん? なんで居るの?」
呼んだ覚えも約束した覚えもない。
「メール読んでくれました? 昨日の夜送ったのにちっとも返信くれないんだもん」
ああ、そうか。佐伯陸がアポ無しでいきなり凸してきたっていうのか。ようやく僕は事態を認識した。
「なんで来たの? 約束もなにもしてないでしょ?」
「返信来なかったから、直接交渉に来ました」
「寝てたんだけど」
「聞きましたよ〜裕さん確保しようって職場に寄ったら、倒れて早退したって。大丈夫ですか?」
「知ってたら静かに放っておきなよ」
「イヤです。お見舞いに来ました」
ドンドンとドアを叩く音がした。今、何時だろうか? 近隣住民に迷惑な時間ではないのか?
「入れてくださいよぉ!」
「今、何時?」
「6時過ぎですけど」
ドンドンと諦めること無くドアを叩く音が続く。夜中じゃなくて良かったが、ドアをドンドンされるのはいつの時間でも近隣住民には不審だ。
「あーもー、わかったから! ドンドン叩かないの!」
「やったぁ!」
ケータイを切り、ベッドから抜けだしてメガネを掛け、ドアの鍵を開けた。その途端、ガチャっと勝手にノブが廻って、佐伯陸がドアから顔を出した。
「お久しぶりでっす!」
「生きてたんだね」
「おかげさまで〜。お邪魔します♪」
僕の了解もなく佐伯陸は既に玄関に入っていた。



