いつの間にか彼は遠い目になって過去の経緯をたぐっていた。驚いたことにこの人は自分が壊れかけていることを知っていた。幸福とは決して言えない過去の回想は今までの告白の中で、唯一まともに聞こえた。するとそのまともさが、不意に僕に、「この人が不幸な原因が僕にある」という感覚を呼び覚ました。
僕が今まで引き起こしてきた、僕が僕であるがゆえの避けられない罪の意識。ドクター清水の行為が極めて一方的で独善的なストーカー行為であっても、その罪悪感に呼応する心苦しさを僕は少しづつ感じ始めていた。その身に馴染んだ罪悪感が動画のショックを少しずつ覆っていくと、少し苦しさが和らいできた。毒を以って毒を制すというのはこのことだった。罪悪感のいたたまれなさの方があの動画の汚辱よりもまだマシだった。その感覚に僕は無意識にすがった。
「父親の癌が発見されたのがもう末期で、膵臓癌だったから進行が早くてね。帰国した僕が今の市民病院に取り敢えずで就職してから父はすぐに寝たきりになって、手術も出来ない、抗癌剤も結局効かなくて骨転移しちゃって、それから3ヶ月で最期はモルヒネ漬けのまま逝ってしまった。看護の疲労感と、遺産相続とかいろんな手続きとかしばらく掛かって、アメリカに帰る気力もすっかり失せて、でもここの警察は死因解明に力を入れてるってのがわかって、空虚な時間を埋めたくて警察医になった。忙しければ日本にいても君のことを考えなくても済むと思った。この家は父が亡くなった後、実家を建て替えたんだよ。いつか気が向いてアメリカに帰ったら、ここを貸家にしようって思ったりしてた」
そしてまた僕の顔をじっと見た。
「検案を始めたらさ、自殺か他殺かって難しい遺体が出ると、警察医の仲間が変なこと言うんだ。岡本先生行きだな、とか、警察まで、岡本先生は見ただけで自殺の鑑別が出来る変人…自殺リトマス紙だ、とかなんとか。変だろ?」
そう言うとドクター清水はクククと笑った。
「その頃僕は、君のことを考えないために、Aiセンターの構想というプロジェクトで頭の中をいっぱいにするよう努力中だった。検案時のAiの使用について警察医会の皆から意見を集め始めていた。それで法医学教室のホームページを見てた。でも岡本って名前がないんだ。それで夏の懇親会のときに法医学教室も合同でって企画を立てた。君は来なかったけど、堺教授に岡本先生の話を聞いた。忙しくてホームページを更新してないって。講師でも准教授でもないからそれでどこにも載ってなかったんだなってわかった。そのあとAiセンター構想のメンバーのリストを作るんで、大学側の関係者のプロフィールを堺教授から送ってもらった。法医学教室と放射線科のね。そこに『岡本 裕』という人物の名前が書いてあった。そのふりがなに、“オカモト ユウ”って…」
ドクター清水は両手で顔を覆った。



