昨日は結局そんな有様で、予定していた量より作業が進まなかった。そして今日も遅々として進まない。皆が席を外して僕だけになるとか皆の手がふさがっている時に、なぜか問い合わせの電話が掛かってくる。裁判所から堺教授の証人の件、病院から承諾解剖の件、科捜研から、警察署から、大学の事務室から…いちいち手を止めて受話器を取る。通話音で耳が疲れてきた。

 そして昨日も3週間ほど前に行った不審死の解剖の屍体(死因は本人の過失による交通事故でほぼ確定)をもう一度見せて欲しいと忙しい中電話があり、県警の警部が今日の夕方の5時半に来るので、担当の僕が残って説明と後片付けをすることになっていた。予定が押しているのに、1日に、しかも定時過ぎにアポイントが2件。面倒だ。しかも凍死自殺屍体のせいで心理的にあまり良い状態では、ない。

 スタッフは帰宅し、その後県警が来訪。事前に準備していたせいか確認はそれほど手間の掛かることはなく、説明しながら安堵していた。

 事故死した中小企業の社長だった故人にはかなりの生命保険が掛けてあって、妻子がいない上に、次期社長の実弟がその受取人ということで、捜査関係者は一応保険金殺人の可能性も考慮していたが、兄弟間のトラブルは聴き込みでも確認できず、派閥争いの声も聞かれず、会社の乗っ取りの線も考えられないということで、偶発的な事故の線が濃厚だという判断が下された。その最終確認を取りに遺体をもう一度見に来たとの事だった。向こうも忙しいようで、きっかり30分で帰っていった。

 そして県警と入れ違いにドクター清水が到着し、今、スタッフルームの応接ソファでさっきから二人だけで話をしている。ここ数日の疲れと夕方の疲労感で、集中が切れそうだった。

「…それで堺教授から、岡本先生が法医学教室の代表で来てくれると聞きまして、嬉しいですよ」
「あぁ、そうですか。正直、堺教授の代わりなんて、責任重すぎて参りましたけど」

 僕がそう言うと、彼は不意にメガネの奥の目を細めた。僕の顔を微笑みながら眺めているドクター清水は、僕が訝しげな顔をしているのを悟ったのか、さりげなく指先で黒縁のメガネを直すと、また何でも無かったように話し始めた。だがそれは僕でもわかるような変な間合いだった。