僕を止めてください 【小説】




 心臓の右心と左心の血液を注意深く取り分け採取する。別々の試験管に入れて、写真を撮った。やはり動脈系の左心は鮮血で、静脈系の右心は暗紫色だった。凍死以外の死体は左右の心臓血は共に暗紫色なのだ。はっきりとわかるその色調の違い。酸素が失われていない鮮やかな血液。さあ、あとは薬物の服用か、アルコールの有無か。次は肺だった。鬱血以外に特に特徴的な所見はなかった。
 
 その次は胃腸。誘われるように腹部の切開部分に自分の両手の指先を沈めていった。ゆっくりとその傷を押し広げていき、指でかき分けていくと、新しい死体独特の感触が指先に伝わった。

「あっ…あ…」

 喘ぎ声が漏れ、僕はそこで腰から砕けそうになった。胃腸の中を切開して調べ始める。胃や十二指腸粘膜に多発性の出血があった。これも凍死の特徴的な所見だ。胃内容物の確認と、検体の確保。身体は淡々と慣れた作業を続ける。胃から溶けかけた錠剤らしきものが2〜3個出てくる。パックに取り分けて保存した。睡眠薬か? それとも胃腸薬?
 膀胱に移行する。やはり尿がいっぱいになっている。凍死の所見が重なる。尿を採取する。これは検査に回す。

 僕はひとり内臓を開き、刻み続けた。凍死体らしく臓器という臓器は鮮やかに赤く、すべて鬱血していた。男の恨み言は切れ切れに囁き続けている。
(ひとりにしないでくれ…裏切り者…返せ…おれの…)

 いいや。それは僕のセリフだ。僕がそう言いたいんだ。返せ。それ、僕のだ。その死は僕のものだ。奪い取りたい。僕のものにしたい。返せ。あの人は僕を裏切った。あの人が殺してさえくれていれば僕は……そこに置かれるべきは僕のカラダだ。僕は君みたいに死んでからおしゃべりなんかしない。この世の恨み言を死んでもベラベラしゃべるような狂った死体にはならない! 壊されて殺されて熱のなくなった僕の静かな身体。骸は回収され、袋に詰められ、運ばれる。解剖台の上に。そしてなぜ死んだかを確認される。最後の、騒々しい生きている人間のお節介が始まる。そして……いじられるのは、この僕だ。
 
「んくぅっ!」

 あ…そんな…嘘だ…
 否定する間もなく、僕は全身が壊れるかと思うほどの快楽に包まれていた。