解剖室の外には誰もいなかった。気が付くと内側から鍵を掛けていた。ふたりきりだ。君と僕、のふたりきり。再び解剖台の前に立った。急速に息が上がってきている。耐え切れずはぁはぁと口で息をした。その音は自分の呼吸ではないように聞こえた。焦躁のような頭の中を掻き回されるような、そんなうねりが僕に襲いかかった。
だれもいない…生きてる人間はここにはいない…生きてる人間がいない…いない…いないいないいない…
死体のくせに狂ってる君、僕も同じなんだ。どうしたら戻れるんだろう? きみ、知らないか? 三体腔検査に取り掛かる。電ノコを片手に僕はポータルを探し始めた。君の中に戻ったら、僕は元に戻れるのか? ふと気が付くと左手が死体の胸元に触れていた。ここの中に何を隠しているの? 君はどこから帰ろうと藻掻いているの?
左の脳は自分の今までにない異常を感じていた。解剖の手順を一切間違うことなく、確実に僕は頭が変になっていってる。ダメだ、一線を越えたらダメだ…。
だが右の脳は、自分が失ったものを探そうと血眼になっていた。ラテックスの手袋をはめた左手は、右脳の飢えを満たすために遺体の表面をそっと撫で回し始めていた。
凍死体は美しいね。だけど君は自分殺しだ。死んでもなお静寂の中に戻れない。その侮蔑は自分に対する自嘲と同じものだった。それでも彼はその蛮勇に賭けた。狂気の向こうに静けさがあるって、君は苦しみを絶つための死に憧れた。そうじゃないのか? 僕も同じだ…同じなんだよ。わかるかい? 狂った君。だが僕は失敗してしまった。



