男の死体を確認した後、まだ若いその巡査は慌てて応援の無線を署に飛ばした。すぐにパトカーがやってきて、高校生らは事情聴取に警察署に連れて行かれ、それほど経たないうちに車庫の周囲にはKEEP OUTと書かれた黄色いバリケードテープが張り巡らされた。そのうちに近所の野次馬が4、5人集まってきた。隣家に早速聞き込みが入り、廃屋の持ち主が特定された。家主の中年のサラリーマンがほどなく到着し、身内かどうか遺体を見せられたが、知らないと言うことだった。近隣の住民も男の身元に心当たりはないようだった。

 死体は見た目にはまだ若く、検視官の目には40歳前後に見えた。ドクター清水は東京の学会で留守で、検視は経験のある警察医だったが、事件性はあるようなないようなといったところだった。自殺及び事故の線だろうが、所持品が少なく身元が判明しないし、携帯電話もスマホも遺書もなく、財布の中には名前の入っているカード類が一切なかった。身元がわからないのはセオリー通りの自殺ではない。大抵は運転免許証や健康保険証など、自分の身元がわかるものを近くに置いていることが多いのだ。見つけて欲しいという心理状態が働く。

 ただし、近年我が国でも、身元不明の自殺者や行き倒れが急増しているのは事実だった。身元がわからないからと言って自殺ではない、とは言い切れるものでもない。しかし、死ぬつもりがなく、事故という可能性もある。わざわざこんな廃屋の車庫の中で事故というのも可能性は低いけれど。

 死斑は押しても消えないが、死後硬直はまだ解けていないので、死後12時間以上〜3日は経っていると検案書にはあった。低い直腸温、選択的な薄着、鮮赤色死斑、上肢の第二度凍傷、特に外傷がないこと、この2〜3日のこの地域の気温などから、外見的所見では死因は凍死が考えられた。寒冷死の診断は法医学的に見て特異的な所見は少ない。それゆえに凍死の鑑別は検視のみでは死因を特定するのが難しい分野であった。

 凍死の外見的所見で比較的特徴があるとすれば《矛盾脱衣》というやつだ。これは、寒冷の環境にも関わらず、凍死者がなぜか着衣を脱いでしまっていることが多い、という異常行動の一環として見られる。これはアドレナリン酸化物の幻覚作用、体温調節中枢の麻痺による異常代謝という説がある。この死体の脇にはダウンジャケットが脱ぎ捨てられていた。だがそれ以上は脱いでいなかった。それは矛盾脱衣によるものか、それとも凍死を狙って予め脱いだ(脱がされた)のかは、それ以上わからなかった。警察はこの状況では司法解剖しなければ、除外診断では難しい…と判断した。市内であるため、現場は所轄の幸村警部補の担当だった。