死体が見つからなくても失踪者の生命保険が下りるのは、失踪後7年経ってからだという。7年は長いが、これを待っている可能性も無い訳じゃない。しかし、その7年間も保険の掛け金は毎月払わなければならないし、死体は発見されない、もしくは発見されても受取人の殺人でないことが支払いの条件だ。

 それでは、ほかの可能性はどうか? 家人の自殺が発覚したらマズいケースというものがあるのか? 自殺遺体の身元が割れては不利益なケースとは? 家人ではなく、他人が遺棄したのか? しかし当然その老婦人が住んでいた自宅とか施設には彼女は居なくなっている。それが第三者に知れたら、いろいろと物議を醸すのではないか? 少なくとも失踪届けはまだ出てはいないのかも知れない。居なくなっていることを隠している? ではなんのために?

 きっとこの事件には現代的な問題があれこれ影響しているはずだ、と、僕は思った。高齢者の自殺は増え続けていて、高齢者のウツや認知症で家族や介護者との関係悪化も蔓延していて、この前の青木三穂の事件はまさにそういう事件だった。しかし家族のみならず、介護施設での認知症老人の殺害も増えている。今回のケースも、家族ではなく、案外施設職員の犯罪なのかも知れない。

 不意に彼女の幻影が僕に囁く。
(しっかり、やんなさい…)
 この言葉…あの時と同じように、背筋を冷たい舌で舐められるように、僕は再びゾクッとした。だが誰に言う? 老婆がこれを誰に言うのだろう? 漆黒の眼窩でその誰かを見つめて、サンタ・ムエルテは誰かの願望に応え、そいつに囁いた…しっかりやんなさい、と。そして自分を世界から抹消した。自分を世界から抹消する、その動機。高齢者の自殺は60%が健康問題だった気がする。その次に経済問題や家族の問題、その背景が、それらによる潜在的なうつ病。

 そういえば、鈴木さんは『痛み止めくらい飲んでてもいいですよねぇ』と言っていたな。X線で確認した変形性膝関節症。変形がただちに痛みにつながるわけではないとは言うものの、この疾患は高齢者の整形外科領域では、かなりの罹患率がある。 詳しく調べてみると、ウツの発症に老人性の変形性膝関節症が影響しているというデータが出てきた。痛みで行動範囲が狭くなる。QOL(生活の質)が低下し、外出もままならなくなる。結果、人とのコミュニケーションが減り、家にこもりがちになり、うつ病を発症し、うつ病から認知症に症状が拡大していくというありがちなパターンとなる。家族に迷惑を掛けたくないという罪悪感で自死を選ぶ人もいれば、こんな人生もう生きていても仕方がないと、命を絶つこともある。
 しかしどのような理由の自殺であれ、その自殺した老婦人の死体やその事実を隠すというのはどういう動機なのか、僕にはすぐには理解できなかった。

 それ…死体遺棄を実行したのは、彼女の息子だろうということがなんとなくわかっていても。