僕を止めてください 【小説】




「前々から幸村警部補は、事件の解決率を上げるために県警に掛け合って検視官の臨場を増やしたり、増員の嘆願をしたり、警察医会との研修や、署の若手警官の検視の講習を企画したりしていると、県警の長谷川課長補佐が前に堺先生におっしゃってました。幸村警部補は正直自己中でしつこくて怖くてやりにくいですが、正義感も行動力も捜査の手腕もありますし、その影響力は悔しいですが認めざるを得ません。その人が法医学教室に有利に働いてくれている…これは前橋先生の時期から見れば、それこそ天国と地獄の差です」
 
 そんなの一言も聞いてない…と、僕はパソコン画面を見つめたままその言葉に唖然とした。

「…それは岡本先生が来て、しばらくしてからだそうです。青酸カリ殺人事件があり、その時の解剖で幸村警部補が岡本先生に興味を持ったと。そして例の保険金目当ての焼損死体の事件があって、幸村警部補の死因究明に関する意見はぐっと増えたと聞きました」

 なんてことだ。

「あの事件は、あと一歩で見逃し案件になったと、肝を冷やした県警もあれで検視官の臨場を増やすキッカケになったとか。その時の岡本先生の解剖がその後のここの県警の死因究明推進計画を後押しする暗黙の要件の一端だったらしいですから。県警はおおっぴらに認めはしませんけれど」

 僕の口の中が乾いていくのがわかった。コーヒーをすすった。そして思わず僕は自分から質問していた。

「では…ダムの水死体以来、自殺の解剖件数が減っているのは…幸村警部補の根回しの成果だと?」
「時流が死因究明推進に向けられているという時期も重なってラッキーだったとは言えますが、少なくともその流れを最大限に有効利用したのは彼でしょうね。検案や検視でなるべく自殺の遺体を鑑別できていれば、こちらに回ってくることも少なくなるじゃないですか? それは岡本先生の負担が減って、少なくとも仕事がしやすくなることにはなりますし、従って私達も負担にならないということです」

 今度は菅平さんがコーヒーをすすった。今までの話に呆然としながらも、こんなに話したら、無口な菅平さんの一生分の会話が今日で終わってしまうのではないかと僕は変な危惧をした。しかし、いままで寡聞な僕の耳に入らなかったこの話を聞かずにはいられなかった。