「堺先生のポストを他から補充するとなると、色々リスクがありそうで私は嫌なんです。堺先生のお人柄はなかなか大学教授という人種の中では見られない円満なものですので」
「それには異論ありません。しかし…」
「ええ、人柄的に似ているとは決して思いませんが、岡本先生の合理的な考えや仕事の配分や指示は無駄がありませんし、無理な要求もほぼありません。堺先生と仕事をしてやり方や雰囲気を知っていて、尚且つこの法医学教室を堺先生の退官後に安定して運営していくには、今後岡本先生はリーダーとして必要になっていくと私は思うんですが」
「それは買いかぶり過ぎでは…?」
「ええ、おっしゃる通り今すぐ堺先生の代わりになるわけではないと思います…ああ、失礼な言い方ですみません。でもせめて堺先生の退任までに准教授ぐらいになれば、堺先生も取り敢えず安心して退官できると思うのですが」
あまりの話に、僕はただただ唖然としていた。普段無口でクールな菅平さんが、こんな風にこの法医学教室のことを心配していたということも僕にはとても意外だった。そして僕のことをこのような無茶なポストにつけようという無謀さに、僕はこの冷静そうな風をしている人が、実は少し頭がオカシイんじゃないかとすら思った。
「私はただのパートの研究補助員ですから、こんなことを岡本先生に言う立場ではありません。でも、期待しているということだけは知っていて欲しいと思いまして。このような私達スタッフの発言が今後の決断に影響があれば良いと思っています」
期待。昨日のヨレヨレで早退の僕、今日のヘロヘロで半休の僕に、この人は何を見てどう期待しているのかと本気でバカバカしく思い、その直後寒気がした。待ってくれ…期待こそが人生の毒なのだ。それも致死毒となる可能性すらある。僕はそれで人を殺しかけた人間なんだから。僕は咄嗟に菅平さんに言っていた。
「僕に…期待はしないで下さい」
菅平さんには申し訳ないが、少なくとも今は釘を刺しておく必要があると僕は判断した。
「菅平さんは昨日と今日のこの体たらくをつぶさに見ているのに、なんで僕に期待できるんですか? 自分から言うのも態度の悪い言い様ですが、社会人として僕は不適応者です。堺教授の温情あってのこの立場ですよ。菅平さんはそれは一番良くご理解してらっしゃるはずですが」
「はい、解っています。それでも私は良いと思っています。このところのここの教室への有利な条件が、岡本先生が着任して以来、ずっと続いてるの、ご存知でしょう?」
「え…? いや、どういうことですか?」
そんなこと寝耳に水である。
「前橋准教授の一件、鈴木さんから聞いてるはずですが」
「ええ」
「幸村警部補の今の協力体制を引き出したの、岡本先生ですから」
「あ…まぁ…」
幸村さんの協力体制、と聞いて、なぜか昨日の自分の痴態と幸村さんの腹筋が一瞬生々しく脳裏をよぎった。そのあとは菅平さんの顔をまともに見れなくなったので、コーヒーをすすり、デスクトップに目を逸らした。



