僕を止めてください 【小説】




「その件では解剖でご迷惑をお掛けしているのは重々承知です。僕が不甲斐なくてすみません。その方の検案で済んでるってことですね?」
「自殺の遺体の件は堺先生からの説明は受けていますよ。私は納得しているので岡本先生に謝られる必要はないですが、ここは以前から検視官の臨場率がとても低かったですから助かります。その臨場率も少しづつ改善されていますが」
「確かにそうですが…」

 警察における例の『犯罪死の見逃し事案・分析』などの通り、日本の検死制度は現時点では責任の所在が不明瞭で、我が国の他の科学分野と比較しても、検死と死因究明の分野は体系的でなく、とても先進国とはいえない状況となっている。

 あの、幸村さんとの不幸なタイヤ置き場での実証実験を生み出した、保険金目当ての焼損屍体の事案のように、警察において犯罪性が認められないものとして取り扱った死体のうち、後に犯罪行為による死亡であることが明らかとなった、いわゆる犯罪死の見逃し事案は、この十数年で、保険金目当ての殺人以外にも50件近く発覚していた。なにしろ検視官は少ないから臨場率は7〜8年前までは15%を切っていたし、検視官がいない警察に対する臨場での警察医の発言力もたかが知れている。

 しかしあるスポーツ選手の集団暴行殺人事件の見逃しをキッカケに、その翌年あたりからだんだんと政府がその死因究明の制度に、ようやく手を付け、死因究明推進協議会というものが各自治体ごとに発足し始めたという流れにあった。検視官を増員するとか、予算を増やすとか、法律を変えたりとか、その推進効果はまず検視官の臨場率の改善という効果として現れていた。それにしても、僕が謝る必要がないという菅平さんは何を言わんとしているのだろうか? 菅平さんは続けた。

「岡本先生が幸村さんとの関係を友好にして頂いてるのも含め、お陰様でこの教室も近年まれに見る平和で死因解明率の高い日々となっています。ですがそろそろ堺先生も定年に差し掛かっていますよね」
「まあ、そうですが」
「岡本先生はなぜ講師に就かないのですか?」
「あ、え?」

 そこ? と、僕は自転車に乗っているとたまにある、いきなり顔にぶち当たってくるカナブンに額を打たれたような唐突な無茶振りを受けてポカンとした。