僕を止めてください 【小説】




 僕の嘘が効いたのか、運転はカーブでブレーキを踏むようになり、トミさんの語感が少し和らいだように思った。これで交通事故を起こさずに済む。あのままでは僕を道連れにトミさんが谷底にダイブしかねない勢いだった。

 トミさんも間違っちゃいない。一緒に行きたければ…そうしないで悔いが残るのなら、一緒に行けばいい。だけど…その言葉の先に、トミさんと穂刈さんの幸せがあるんだろうか。それ以前にその言葉に、トミさん自身が耐えられるのだろうか。似たようなことを言った誰かを僕は思い出さずにいられなかった。

「わかります。わかりますけど、でも自分のことを好きなトミさんが、自分のせいで殺される穂刈さんの気持ちもわかってあげて…下さい」
「うるせぇ…わかってるよ…お前なんかに言われなくてもわかってるよ! くそ! わかってるけどよ…オレみたいなチンピラ一人死んだって、兄貴が悲しむことなんかないんだよ!」

 トミさんはそう叫ぶと急に車を路肩に止めた。グラサンごとハンドルに突っ伏してトミさんは泣いていた。最後の日の最後の夜に、他の男を抱くための掲示板に書き込みをさせられ、好きな兄貴に抱かれた男を送らせて、穂刈さんそれはやり過ぎだと思ったけど、多分穂刈さんは嫌われたいのかも知れないとも思った。だがそんなことして嫌いになるような人でもトミさんはないだろう。どうにもならないこととは言え、トミさんはすごく傷ついているのだろうと思うと胸が苦しくなった。

 今まで我慢していた様々な鬱積が堰を切ったように、トミさんはダッシュボードを拳で叩きながら泣き続けていた。本人の前ではきっとこんな風に泣けは出来ないだろう。泣き腫らした赤い目をして帰ってきたトミさんに穂刈さんはなんと言えるんだろうか。僕はそんなおせっかいなことを考えていた。おまけに僕の前で泣くなど、トミさんにとっては屈辱的だろうに。

 カラン…という音がしてダッシュボードの上に涙で使えなくなったであろうグラサンが放り出されたあと、しばらくして路肩から車が再び走りだした。運転しながら何度も鼻をすすっているトミさんのさっきより丸まった肩を見ていた。。毎日一緒に居たのだから…あの不思議な淋しい人と。淋しい人って傍からしたら迷惑だな…男泣きしてるトミさんを見ててそう僕は感じていた。そして僕もそう見えると穂刈さんが言ったのを不意に思い出した。僕もそんな迷惑な人間として他人から見られているなら、それはとても困ったことだと思った。

 だが、もうひとつ困ったことに、穂刈さんとトミさんの二人の不毛さを見ているうちに、さっきから僕は自分の過去や今の誰かとの関係をそこに映しているかのような錯覚に襲われていた。