林道が少し開けると、ひなびた温泉場が現れた。ここの県は古い温泉が散在していて、どこに行っても温泉地がある。とはいえ、地元に疎い僕では、ここがどこだかはわからなかった。大きくなさそうな温泉地で、小さな旅館や民宿、古そうな低いホテルがポツポツと立っていた。ザアザアと常に川の音がしていた。車の中はクーラーがかかっていて、耳の中の音は少し小さくなっていた。外の音がわかった。
細い道に入り、長い土塀のある家の門に車が入っていった。家かと思ったら、和風の綺麗な平屋の旅館だった。車の音で誰かが玄関に出てきた。和服の女の人だった。僕達は車から降り、ドライバーのトミさんが和服の女性に頭を下げた。宿とはこれのことかと思った。
「よろしくおなしゃす!」
「こんばんは、いらっしゃいませ」
宿の女将という人なのかもしれない。“兄貴”に会釈し、ニッコリ笑った。いわゆる美人女将という人だろう。
「まぁ、ゆっくりしていって下さいまし。若頭がさっき電話で穂刈さんによろしくって」
「ああ、ありがとうございます。ゆっくりさせてもらいますわ」
若頭…と聞いて、これは間違いなく地元の組の人だと悟った。危険ドラッグなんてカワイイものかも知れない。ヘタしたらシャブ漬けかも。永岡連合は噂ではクスリは嫌いな組らしいが、海神会は節操無くなんでもやる組という話だった。この人がどちらの組の人かで僕の運命も変わるんだろうと思った。
「じゃ、オレはまたあとで迎えに来ます」
「よろしくね〜…あ、ヒロシ君、君明日仕事じゃないの? 何時に帰る? 夜帰る? 泊まって朝早く帰る?」
「え…出勤に間に合うなら…どちらでも…」
「何時?」
「8時半…ですが」
「7時頃君んちに着けばいいか」
「ええ…まぁ」
「じゃあ、なにもなかったら朝迎えに来てよ、トミ」
「はい。6時頃来ますわ。なんかあったら連絡下さい」
深々と頭を下げて、トミさんは車で出て行った。また選択肢をくれる。ものの言い方も柔らかいし、この方は本当にサディストなのだろうか。トミさんが居なくなり、これで3Pはなくなった。女将がこちらに、と鷹揚な仕草で兄貴…ホカリさんと言うらしいが…を玄関の中に案内した。ツルツルの木の廊下を歩きながら、女将がホカリさんに訊いた。
「お連れさんは、堅気の方ですか」
「うん。今日はもう最後だから、まぁ、いいでしょ」
「離れとってありますんで、ご自由にしてくださいな。長いことお疲れ様でしたね」
「ありがとう女将」
「小腹でも空いたらなにか作らせますから」
「ああ、頼むわ。酒は要らないよ」
「わかってますよ」
二人の後ろについて廊下を離れまで歩きながら、ホカリさんは僕より背が低いことに気づいた。外見より屋内は深く、廊下は長い。足に力が入らなくてフラっとし、壁に手を着いた。とっさにホカリさんが後ろを振り向いた。普通の人ならわからないような位置の動きを後ろの目で見えているかのようだった。
「ヒロシ君、大丈夫?」
「あ…ええ」
「俺の肩につかまったらいいよ」
「いえ…大丈夫です」
「お客様、お具合悪いんですか?」
女将も振り返った。
「いえ…ご心配なく」
「お部屋はすぐそこですから、お気をつけて」
豪勢な日本庭園の中に屋根付きの廊下が架けてあり、そこを渡ると離れだった。部屋に入ると、十畳くらいの和室で、すでに布団が敷いてあった。ごゆっくり、と言って女将はふすまを閉め、出て行った。そしてホカリさんと二人きりになった。
僕の初出会い系体験は、いまのところ佐伯陸の話とは一切カブらない、異常な展開となっていた。



