いつの間にか帰宅時の空は暗赤色の雲に覆われていて、嫌いな梅雨がやってきていた。そのあとはもっと嫌いな夏なのだが。高湿の中、発散できない熱がこもってモワッとした耳鳴りが小さくずっとしている。ぐったり疲れて家に帰るとエアコンのドライをつけて、お決まりの水のシャワーを浴びた。乾いて涼しくなった部屋でビーカーで水を飲んだ。そしてベッドに倒れこんだ。
今日の仕事場は午前中は手術中の医療事故死と言われる遺体の解剖。午後は裁判所に提出する事件の鑑定書と裁判で堺教授がこれから証人喚問される時の所見をまとめるワープロ作業に没頭していた。湿度と音と仕事の多さに疲れきっていた。
危険ドラッグの刺創殺人事件から1ヶ月半、DTの裏市場は消え、売人も地下から姿を消していた。麻薬取締官のおとり捜査では、引っかかったユーザーが何人か危険ドラッグ所持で逮捕されたが、売人の特定には至らなかった。素性を隠してうまくデリバリーで対応していたようだった。発端はなんとあの掲示板からだったということだそうで、例の佐伯陸とやった3人組も顧客として逮捕されたらしい。
口コミで広がっていたDTは殺人事件のあと、半月ほどして注文に応じなくなり、新たに手に入れることが出来なくなっていたようだった。それは科捜研で危険ドラッグの線が確定し、幸村さんが犯人の足取りを絞り込んでいくのと同時だったそうで、つまり警察の追い込みに何らかの危険を感じた犯人らは、危険ドラッグの販路拡大をやめて、本拠地に帰ったか他県に逃げたかしたのだろうということだった。それはつまり、チャイナ系の売人と殺人事件の犯人が同じ、もしくはなんらかの関係があって警察と麻取が動いているとの情報を聞いて、顧客がいても逃げざるを得ないということだったのだろうと推測される。顧客は販売の再開を待っていたから、麻取のおとり捜査も効果があったようだった。
犯人逮捕は今となっては難しくなったが、危険ドラッグの水際の排除にこの殺人事件が期せずして寄与したと言っても良い。所轄の強行班と暴対班は悔しがったが、麻薬取締官と県警の上の人は満足気だった。県警の長谷川さん言うところの「クズ売人1人の屍体」がこの県に蔓延ろうとしていた危険ドラッグと組織を排除したとも言えた。問題は消えた大量のDTだが、1周間前にとうとう厚生労働省から指定薬物の新しい省令が出て、DTは市場からまたたく間に姿を消した。



