「あう…う…う…」
急に佐伯陸の歯がガチガチと音を立てた。歯の根が合わないというようなやつだった。
「どうしたの?」
「さ…さ…寒い…悲しくて…さ、寒い…さむ…うっ…ううっ!」
突然口を押さえた佐伯陸は、脱兎のごとくトイレに駆け込んでいった。開きっぱなしのトイレからゲェゲェ吐く音とそれを流す水の音が聞こえた。反射的に僕はトイレに走った。
「大丈夫!?」
「さ…寒…気持ちわ…悪…オエェ!」
「全部、出しなよ」
僕は、便器に顔を突っ込んでさっき食べたパスタをそのまま戻している佐伯陸の背中をさすった。
「うっ…オエェ…」
嘔吐…水音…デジャヴ…デジャヴ…デジャヴ。物語の背景が変わるだけ…僕はこのループから出られたことがあるのか。どうなってるの? 世界ってこんなに整合性があるの? ループしてる…世界が…いや…僕だ…僕がループしてる。どこに行っても、僕はここで止まっている。
「さ…寒い…よ…お母さん…うっ…ううっ…もう…いやだ」
佐伯陸は便器を抱えてうずくまった。吐いても震えが止まらないようだった。部屋は寒くなかった。寒さの記憶…なのだろうか。
「なにか、思い出したの?」
「…あの時も…こ…こうやって吐いてた…なんども…なんど…も」
「あのとき…?」
「初めて…お…犯されたとき…」
「そう…か…」
「ううっ…ううぐ…!」
「うん…いいよ…吐きなよ」
「誰も…誰もいなくて…助けを呼んでも、誰も来なくて…終わった後…彼が帰って…身体中痛くて…おしりの穴が激痛で…寒気して、吐き気がして…熱が出てきた…でも…誰も帰ってこない…」
「大変…だったね…」
「吐きながらトイレで気を失ってて…深夜にお母さんが大学の研究所から帰ってきて…吐きながらウンコ漏らしてたみたいで…お母さん疲れてたのか…ものすごく怒られて…でも…先生から犯されたことなんか言えるわけなくて…泣いて謝っても…風呂で裸にされて水掛けられて…自分で洗えって…寒いって言っても許してくれなくて…ホントは全部言って……助けて欲しかった…でも…それでもうお母さんには言えないって…諦めた…全部…ぜんぶ…」
もう吐くものはないのに、佐伯陸は吐き続けた。吐きながら長い間激しく咳き込んだ後、トイレットペーパーを片手で引きちぎって口を拭くと、抱いた便器に捨てた。そしてズルズル座り込んで後ろの壁にぐったりともたれ掛かった。



