それを知ったら幸村さんの僕への執着は薄くなるかも知れない。それはいい作戦かもと思ったが、待てよ、と考えた。それを言ってまた僕が幸村さんの信頼を失った暁には、うちの法医学教室が再び黒歴史に包まれることになりかねない、と。

 いや、今はそのことを考えているんじゃなかった…と僕は横滑りした思考を修正した。母親、隆、そして微妙だが幸村さん…そのくらいだ。その人達が僕を愛してると言って僕の自己消滅を阻止している。愛とはなんだろう? そこだ…いや、そこじゃない。その人達を僕が悲しませたくない、と思っているところだ。寺岡さんはそれも愛だ、と言った。大事に思っている、とも。生きている人に興味のないはずだった僕は、なぜ生きている人のことをそんな風に気にするようになっちゃったんだろうか。

 しばらく離れているうちに、自分がなぜそんな風に思っているのかを忘れかけていた。念仏のように側に寄るなと言っていると、念仏の意味を忘れていく。儀式の形骸化というやつだ。それが自分の中で起こるとは、人間は(僕は)忘れっぽい生き物だ。それに…

 あんなに死にたかったっけ、僕は。そんなに死にたいのは何故だったっけ? それも羨望をするほど?

 薬が効いてきた。痛みを忘れると、死にたいことや誰かの悲しみもなにか薄らいでいく。身体を忘れられる。生きていることを忘れていられる。1ヶ月に1、2回自殺の遺体が運ばれてきて生きてることを思いだすと死にたくなる。ただそれだけの事だったっけ。

 順番に考える。混乱するといいことはない。飲み込まれるほどの混沌を持ち込まれてしまっただけのことが今回の解剖で起きたことのすべてだろうか? それを言うなら飲み込まれることが問題なわけだから、さっさと幸村さんに連絡して抜いてもらうのが一番簡単な回避方法だろう。しかし僕のことを好きとか言っている人にそれは頼んではならない。ということは?

 つまり、誰か他の、僕を好きじゃない人が僕を抱けばいいということになるのかと考えてみた。好きでもないのに抱いてくれる人などいるのかと思ったが、それこそ佐伯陸みたいに手当たりしだい、相手を選ばず行きずりの人を捕まえればいいのかとも思う。好きにならないで抱いて下さいとでも? どこかにはそういう後腐れがないのがいい人もいるだろう。探してみるのも手ではある。関わる人間が増えて後々面倒になる可能性もあるが、ひとつの方法として考えに入れてもいいかも知れない。どうすればそんな人を釣れるのか佐伯陸に教えてもらっておくのもいい。

 どうせああなったら僕は誰でもいい。その誰でもいいという特性をポジティブに考えるべきなのかも知れない。特に女の人でも構わない気もするが、女性とはしたことがないし、僕が積極的に能動ができる人間でもない。別に一生童貞でも構わないし、男にこだわっているわけでもないが、慣れてるし面倒くさくないから男でいい。間違って妊娠したり、結婚とか言われても困るだけだ。

 違うことを考えていたはずが発作の対策の方に思考が流れて、妙に現実的な方向で、今まで考えもしなかったアイデアが出た。これも佐伯陸の淫乱のお陰だろうか。例の不思議なメールはまだ2、3日に1通ほど着信する。淋しいとか死にたいとか言ってこないのも不思議だった。気分の方はどうにか落ち着いているんだろう。しかし、実験が成功したから男を漁るのをやめたというが、ダメダメなんですと言っていた彼女の淫乱な身体がそれで持つんだろうか。心境の変化なのかなんなのか、次に合った時に僕に特別な気持ちが芽生えていないことを祈るのみだった。