僕を止めてください 【小説】




 振り下ろしたカッターが内股の真ん中に勢い良く当たった。圧痛が鈍く内股に生じたが、刃が刺さっている刺痛の感覚はなかった。あれ…なんだかなぁ。これじゃ、夢も覚めないじゃないか。フワフワ感もこれでは拭えない。いや、拭うためにやってるんじゃないけど。じゃあ、もう一度。少し股関節に向かって上目に振り下ろした。今度はブツッという皮膚を切る感触があったが感覚の結果はほぼ同じだった。ただ少し痛みが増えた気はした。でも鈍痛だった。

 右は左より感覚が鈍いのかも知れない。では、前回刺痛のあった左の内股はどうか? 前回の傷口は治りかけているが、そこを避け、二回目に叩きつけた右の大腿部の傷と同じ高さに再びカッターを振り下ろした。予想は当たった。左のほうが鈍痛の中に少し刺痛のようなものを感じた。それは僕の脳の偏りを表してるのかは定かではなかった。しかし、この前ほどの声が出るような痛みはなかった。へぇ、何が起きてるんだろう、これって。自分で自分に問いかける。でもこうしてると性感が紛れるからいいか…この前は切った瞬間に死ぬ気が無くなって性感が突発したのに。

 あまり意味のない実験は続いた。下半身と上半身を比べた。右の前腕の内側中央にに、利き手じゃない左手でカッターを突き立てた。利き手じゃない割には上手く刺さった。右前腕の痛み=左大腿部内側、か。持ち手を変えて左前腕…そんなに痛くないな。なぜ上半身と下半身で痛覚の閾値の交差が起こっているんだろうか。運動機能の交差性って上行性伝導路にも関与するのかなぁ…下行性ならわかるけど…じゃあ、次、体幹…

 体幹は更に鈍かった。臍傍を斜め右下に3cmくらいのところ、少し腰をひねって右臀部側方…いづれも鈍痛しか無かった。体幹も左右差があるのかな。なるべく左右対称に…ああ…やっぱり臍から下の腹部と臀部は下半身に分類される…と。左の痛覚が閾値が低いな…次…臍より上……

 カッターを振り上げた時、なにか目の端に黒いものが視界をかすめた。カッターを握ったままぼーっとそちらを眺めると、ベッドの脇に幸村さんが立っていて、呆然としながら僕を見下ろしていた。また鍵を閉め忘れてたのか、あーあ、と見慣れた侵入者を僕は黙って眺めていた。