翌日、午後から倉持警部補と一緒に2つ目の遺体が運ばれる予定となっていた日の朝、一本の電話があった。倉持警部補と一緒に司法解剖に当たる井上警部だった。用件は言葉にすれば簡単なものだった。電話を取った田中さんから担当する僕に指示があった。

「移送するお母さんの遺体と娘さんの遺体と並べて見せて欲しいって、井上警部から伝言です」

 それは予想していた。そう、それは当然だと僕も思った。流れ着いた娘さんの遺体を写真でしか見ていない井上警部は、当然そう言ってくるだろうと。そう思っていたけれど、万一、なにもコメントがなくお母さんの遺体だけ今回は司法解剖すると言われたら、そのままなにも言わず、そのようにしようと思っていた。

 到底、この二人を並べたくなかった。だが、当然、並べられて然るべきものなのだ。その時その遺体達はどんな風に見えるんだろう。それを思うと、僕は震えた。隆達から離れてきた今までの僕の遮蔽された生活の、その暮らしを選んだ根源に近い動機がそこに見えるのだろうか。

 逃げてもここにいる。見えている。どこに隠れても無駄なのに、僕はそれを知っているのに。それでもやれることはこれひとつ。自分を世界から隔離する。それも誰にも気が付かれないように。その隔離壁がこじ開けられると同時に、その世界を一時だけ映して崩壊した僕のフィルムが回ろうとする。封印した思いが横隔膜の辺りを押し上げる。その軋んだ音がする。胸腔の中にそんな不協和音が響きこだまする。その音にカブるように浴室に響く止まらない水音と嘔吐の音が繰り返す。

 押し殺したものを見せつけるように顕れたあの強引で勝手な男は、自分で「痛みを吊るして迫る係だ」と言って笑った。こじ開けられることをもう望んでいなかったはずなのに、僕はいつのまにか天災のようにその作用を受けていた。そしてその男の出現を機に、次々とそれはもう有無を言わせないような力が働くのを僕は感じていた。有無を言わせずに閉じたその反作用のように、質量保存の法則のような因果応報を僕に突きつけるつもりなのだろうか。佐伯陸も、そしてこの二人も。

 だが、なにかを考えている悠長な時間ではすでになかった。菅平さんに頼んで、娘さんの遺体をメインの解剖台の隣に準備してもらわなくては。そして僕は僕のプロテクトを完璧にしておかなければ。完璧にしておいても今日は修羅場だろう…僕にとっては。

 井上警部と倉持警部補が到着してすぐに母親の遺体が運び込まれた。僕は詰まる胸の中を深呼吸で広げた。一緒に解剖室に降りていく。そしてドアを開けた。