水死体の身元が判明したのだ。あの入水自殺者の身元が。佐伯陸の改良した海洋研究所の例の逆漂流アルゴリズムはかなりの正確さで漂流開始位置を割り出したようだった。だがその事件には続きの話があった。
「海洋研にあのあと依頼しましてね、データの誤差があるからとかなんとか言われましたがそれは足でカバーするってことになって、一応場所が特定されたんですわ。けっこう離れてましてね。南に30km以上行った辺りですわ。もううちの管轄じゃない◯▽市でね。そこと合同調査してね、特に堤防あたりで夜釣りの連中に聞き込みかけて、まあ1週間くらいですかね。死亡推定時刻近くに、明け方女の人が堤防の方に歩いて行くのを見た人が居ましてね。それで、行方不明の届出と照合したんだけんど全然ダメなんですわこれが」
倉持警部補はとつとつと経緯を話した。
「で、歯科の照合が決め手でしたわ」
データベース化されていないために、歯科照合はいつもアナログとなる。そして少し身元確認が遅くなる。
「それがかなり内陸でね。海と近くないんですわ。バスでも30分以上かかる。で、本人の家に行ってみると鍵が掛かってる。近所に聞き込みに行ったら、そこは80歳になるアルツハイマーの婆さんと50代の娘さんの二人暮らしで。どこ行ってるか聞いたら、具合が悪いんで入院させた、私も泊まりこみで介護にいかなきゃ、って言って最近は見てないと言うんでね」
かかりつけの総合病院はここらでは1軒。病院に母親の名前で問い合わせても3週間前に外来で来ただけで入院などしていないという。
「それはおかしいってことになりまして。だってね、娘さんしか介護人がいないわけでしょ。お母さんひとりじゃトイレにも行けないっていうんだから」
そしてその胸騒ぎは現実のものとなった。市営住宅の管理人に鍵を開けさせ中に入ると、母親と思われる老人が介護用のベッドの上で死んでいた。検視では窒息死と推定された。外部所見は結膜の溢血点、頸部の手指痕。自然死ではなかった。
「というワケなんで、すいませんがまた1体よろしくお願いしますわ。いやぁ…まさかこんなことになっていようとは…まったく。頸部の指紋は鑑識の取った娘の指紋と一致しておりますんで。まぁ、でも海洋研で入水地が特定できなかったら、母親の方はもっと発見が遅れておったってことです。岡本先生には世話になりました。ああ、それとその堤防の手前に女もんの靴が落ちてたんですわ、一足。海水と靴、明日持って行くんで、鑑定よろしくお願いします」
警部補の声が、途中から少し声が遠く響いている気がした。
(ごめんね)
防波堤の上の彼女の声が耳の中でリフレインした。誰に謝っているんだ…と、その時はそう思った。しかしもうそれが誰への謝罪なのかを僕は理解した。



