「僕に…なにか…?」
佐伯陸はもじもじしていた。記事には若いと書いてあったが、まさかこんな内気な男の子…いや男の娘だったなんて。
隣の大学というのは、1県に1校ある国立大で、うちの医大とは創立当初から隣接している。隣の大学は医学部がない。それはうちの医大があるからだということだった。佐伯陸はその国立大の情報システム工学の特別講師に一昨年着任した。元々数学者だったが、アルゴリズムの研究者でもあることから、この分野の教鞭をとっている。高校と東京の最高学府を飛び級して卒業して、まだ20歳だけど。
「誤差…修正中です。もう少し待ってて下さい」
「誤差?」
「はい。夏季のデータと冬季のデータで…少しズレがあるので」
変に恥ずかしそうに、小さな声で僕のことも見れずに佐伯陸はそう言った。
「漂流予測プログラムの、ですか?」
「はい」
「それを言いにわざわざここまで来てくれたんですか?」
「えっと…あの…それもありますが…」
「え…だって…僕に言いに来て頂く用件じゃないですよね。倉持警部補とか、海洋研究所の担当者とか…」
「だって……会ってみたかったんだもん」
「…はぁ?」
「どんな人か見たいじゃないですか…浩輔の新しい彼氏」
待て。それはなんだ?
「こーすけって?」
「イヤだな…知らないふりですか」
「状況が…わからないんですが」
僕がそう言うと、佐伯陸は不思議そうに首を傾げて僕を見つめた。
「幸村警部補の新しいカレシでしょ?」
「かれ…し…」
一瞬立ちくらみがした。ふらつかないようにと、思わず廊下にしゃがみこんだ。そのまま額に右手を当てて、ため息をついた。そしてその格好で佐伯陸に尋ねた。
「えと…それは生け贄と書いてカレシってルビ振ってあるんですかね?」
「生け贄?」
「人身御供でも同じ意味ですが」
「え…?」
「うちのスタッフには防波堤とかって言われました。幸村さんは津波と同程度の破壊力っていう意味ですかね。オランダの堤防少年を思い出すんですが…捨て身ですよねー。決壊しそうな堤防の穴に自分の腕を突っ込んで止めて、いやあれフィクションらしいですけどね、僕はフィクションじゃないし…職場の存亡がかかってますからね……カレシだって? 冗談じゃないです。どこからそんな悪い冗談聞いたんですか、佐伯君」
しばらく佐伯陸はそのまま黙っていた。そしておもむろに口を開いた。
「電話掛かってきた。浩輔から」
「こーすけって、幸村さんのこと?」
「あぁ、そう。知らないんですか?」
「知らない。聞いてるかも知れないけど忘れてる。覚えらんない」
「気分悪いんですか?」
さっきと変わらず、額に片手を当てたまましゃがみこんでいる僕に、佐伯陸は心配そうに聞いた。
「悪いです。相当悪いです」
「すみません…あの…どこか腰掛けるとこ…あります?」
気分も機嫌も悪い。2分後、僕達はスタッフルームの来客用ソファに座っていた。



