僕を止めてください 【小説】




「で、そのとばっちりはずっと続いてたんだよ、岡本君が来るまで」

 これが失われた信頼のことかと、僕はこの前タイヤ置き場で聞いた幸村さんの言う“クズ野郎”という蔑称の意味を把握できた。

「いやー、でもあんなに機嫌の良かった幸村警部補がこの前キレてた時は焦ったよね。遺体確認で堺先生が色々説明してたけど。僕サポートでその時そこに居たじゃない? あの剣幕見たらまたあの大変な時代に戻っちゃうのかと思うとゾッとしたよ」
「焼損遺体の件ですか」
「そうそう。『また好き勝手させるのか』とかなんとか息巻いてたよ」
「あれは…すみませんでした」

 思わず僕は謝ってしまった。その前任者の遺した禍根が、こんなにスタッフのストレスになっていたとは。堺教授が「私はある意味諦められてる」と言った意味も判明した。

「でもさ、あのあと良く回復したよね。いまなんかもっと好意的じゃない? 話し合いでもしたの?」

 と、鈴木さんは好奇心丸出しで僕に聞いた。話し合い以上の充実した時間を持ちましたよ、忘れられません…トラウマで。と僕は心の中で呟いた。

「まぁ…それなりに」
「どうやるとあのしつこい幸村警部補を懐柔出来るの?」
「真剣に、捨て身で現場資料と遺体の解説を…」

 と、僕は鈴木さんの好奇心を鎮静させるような、嘘ではなく且つ当たり障りのない答えを返した。

「納得したんだぁ、幸村さん」
「大変に苦労しましたが」
「そうかぁ。でも良かったよ。ほんと君にかかってるから。ね、わかるよね! 頑張って防波堤になってね!」

 鈴木さんは僕の肩を、コーヒーと反対の空いた手でポンポン叩いた。防波堤って…幸村さんは津波扱いなのか。まぁ、わかるけど。自分はさして違わないのに前の職場とはまたえらい立場の違いだな、と、僕は鈴木さんの話を聞いて認識した。

「努力します」
「よろしく頼みますよぉ」

 鈴木さんのホッとした顔を見ながら思った。これって軽く人身御供ってやつかな…と。実際食われたし。いや、生きた人間ならいけにえにもなるが、死んでるのに僕。そう思うと食ってるほうも食われてるほうも妙に滑稽だった。