よくよく考えてみれば、もう終わっている事件かも知れなくて、写真の選別以外、特になにか頼まれているわけでもないということにその後気づいた僕は、わざわざ会いたくもない人にこちらからアプローチしなくても問題ないと判断し、例の轢死体の件を一旦忘れることにした。

 とはいえ県内15ある警察署から、1週間に2〜5体くらいの遺体が運ばれてくるが、ここは県庁所在地であり人口も犯罪も集中していて、うちの医大もこの市の端っこにある。忘れることにしたとしても、面倒なことに幸村さんの居る**警察署からの移送が最も多い。目と鼻の先だが県警本部はまた別にある。幸村さんは刑事課の強行班の班長なので、結局月に3〜4回は確実に会うことになっていた。強行班というのは、殺人、強盗、放火その他の凶悪犯の捜査をする班だ。変死体は殺人の可能性上ほとんど強行班のお世話になる。つまり検視で司法解剖の必要あり、と言った場合、そこの署の警部補がだいたい立ち会うことになっていた。つまりそれは幸村さんのことなのだった。

 おまけにインフルエンザ後の堺教授は体力の回復が遅いようで、なんだかんだと理由を付けて解剖が僕に回ってきていた。遅かれ早かれ、望むと望まぬとに関わらず、ここにいるだけで幸村さんと顔を合わせる可能性に満ちていた。

 逃げられないって…厳しいな。

 それを考えた時、逃げるというのはある種「想像力」の才能に依るものだと思った。この職場を逃げてその先が想像できたら勝ちだ。想像できない場合はどうだろう。目をつぶって飛べる人は勝算がある。現実がどうなるかは賭けに属する。想像力の才能も結局はギャンブルに属するのかも知れない。その想像に全賭けしてるわけだから。僕は想像力は貧困なので、論理的な推論に頼る他ない。つまり賭けは確率論に差し替えられる。差し当たって逃げるためにすることは、法医学者の求人募集を検索しまくることかな…と現実的に考えてみた。地方公務員である警察官は、国家公務員Ⅱ種以外は他県に移動は出来ない。巡査から叩き上げの幸村さんは当然越境出来ない。僕は一人で移動出来る。ただし、求人があれば、だが。

 今日の午前中は、ここからは遠い海岸線の地域の市の警察署から搬送されてくる遺体があった。水死体とのことだった。地形上、海岸線のある地域の変死体は溺死体が多い。海と河口がある。上流から流れてきた遺体が、海まで流れてくることもある。死因は溺死なのか、死後水中投棄なのかが問題になってくる。入水自殺も考えられる。水中落下時の外傷が死因の場合もある。何はともあれ、対応は万全にしておかないと…と、前回の反省を活かす方向で僕は動いていた。