「満腹ですか? さあ、どうぞお帰りを」
「いや、これから君に埋め合わせしないと。腹減ってるんだろ?」
「いいえ。牛乳あるんで。それでいいです」
「それは申し訳ないな。なんか好きなものある?」

 そう言うと幸村さんは立ち上がって上着を着た。どうやら買い物でも行くようだった。また帰ってくるつもりだろう。

「ないです」
「じゃあ嫌いなもんは?」
「ないです」
「なんかこれだけはってのあるでしょ?」
「食事に興味ないんで…嗅覚もあまりないし、味覚もあまりないし」
「マジか」

 幸村さんは目を丸くして驚いた顔をしていた。

「ええ、そのまんまですよ。嘘も誇張も遠慮もないです。早く帰って下さい」
「味覚と嗅覚って…」
「脳がそうなっているみたいですから、努力とか無理ですから」
「よく味噌汁作れたな」
「母親が教えてくれたまんまですよ。味とか風味とか知りませんけど」
「薄いだけで、それほど不味くなかったけどな」
「母親のお陰ですね、それは」
「ちくわとひじきもか」
「いえ、それは病院の栄養士さんの指導です」
「なんで栄養士に習ったの」
「体調崩して通院してた時ですね」
「味噌汁に入れろって?」
「いえ、アレンジは僕です。面倒くさいですから、おかず」
「具を増やしたら、味噌も増やせよな」
「ああ、そういうことですか。でも僕味なんてよくわからないんでいいです」
「今度来た時までに味噌の量変えとけ」

 幸村さんは不穏なことを言った。

「今日で最後ですよ」
「いいや。今日が最初だって」
「しつこい人ですね…不法侵入で警察呼びますよ」
「照れてないで、また来てくださいって言えばいいでしょ」
「なっ…なにそれ」
「だってあんなに…良かったんでしょ? 結局さ」
「僕は…ああなったら誰でも同じだ…」

 これを言いたくないが言わざるを得ない。胸が苦しくなってきた。

「今朝は屍体じゃなくて俺に抱かれたんだぞ」
「あれは昨日のあなたの鬼畜な行為の後遺症です! いい加減にして下さい」
「そうかなぁ…じゃあ確認のために後遺症抜けたらまた試してみような」
「もういい! やめて!」

 僕はテーブルを両方の拳で叩いた。テーブルの上の茶碗が音を立てた。いきなり限界が来たみたいだった。