ドアノブに繋がれた僕の前の土埃の積もったコンクリ床に、彼は躊躇なく自分のコートを脱いで広げた。

「やってくれ、この上で」

 そう言うと彼はコートの上にしゃがみ、手の中の現場写真を置いた。

「俺の、君に対する信頼を返せ」

 茫然と立ち尽くす僕を彼は見上げた。その目が怒っていた。怒りながら何故か泣きそうな顔をしてる気がした。

「どういう…ことですか」
「俺の信頼を返せ!」
「どういうことですか!」

 繋がれていない僕の右手を幸村さんは乱暴に掴んだ。そしてその手を力いっぱい引き下げ、強引に僕を跪かせようとした。バランスを崩した僕はコンクリの床で膝を打つまいと、とっさに掴まれた右手で幸村さんのスーツの胸元にしがみついた。左手の手錠がビンと張り詰め僕をドアノブから吊るした。瞬間的に僕は幸村さんに抱きとめられていた。

「あの日、どうしたんだ君は?」
「あの日?」
「解剖の日だ」
「…」

 僕は何も言えなかった。そのことを言えることはない。幸村さんは僕の肩を押さえつけ、床に膝立ちにさせて自分は立ち上がった。今度は彼が僕を見下ろしていた。

「俺と君はこれまで上手くやってた。違うか? え?」
「わかりません」
「わからないのか! 君は俺の考えていた司法解剖をした! 最初からだ! 堺さんが前橋がやらなかった場所に君は踏み込んだ、最初から!」
「知りません…そんなの」
「君はここの以前の司法解剖を知らないのか!」

 それを聞いた時、僕は堺教授が幸村さんとやり合ったと言ったことを思い出した。

「どういう意味ですか…」
「君の前任の前橋准教授を知ってるか?」
「いえ…僕が来た時はもう居なかった」
「クズ野郎」
「え…?」
「あんな奴が俺達の仕事を左右するのかと思うと反吐が出る…そいつを庇ってた堺さんにもだ!」
「堺教授が…?」

 僕は自分の職場では決して語られることのなかった前任者の話を初めてこの時聞いた。怒りで彼の声が震えていた。