翌日の午前中は、堺教授は医学部の授業だった。それが終わるとまだ病み上がりなので、休み時間は教授室のソファで仮眠していた。午後2時から例の23番遺体の解剖確認が始まる予定になっていた。もちろん幸村さんが来る。他にもあの時立ち会った部下が1人来るはずだった。僕の立ち会いは拒否されたので、スタッフルームで検査技師の鈴木さんが行った薬毒物検査と、科捜研に依頼した検査のまとめをしていた。ここのインフラでは実施できない検査は科捜研に依頼しなければならない。もちろん堺教授が執刀してくれる時は僕も薬毒物の検査に掛かりっきりになることもある。
例の焼損死体は、縊死が死因として特定されたが、縊死の前に薬物でも飲んでいたとか、飲まされて縊死のように吊るされたのかも知れない…という可能性を半ば排除するためのデモンストレイションみたいなものだと、僕は思っていた。つまり消去法。すでに自供が出ていると幸村さんも言っていたし、その自供に信憑性があるかどうか、現場検証や司法解剖と擦り合わせて、矛盾の有無を確かめる段階に入ってるものと推測する。
予定の時間になっても幸村さんはスタッフルームには現れなかった。直接解剖室に入ったのだろう。まだ色々と僕の関与を考えているんだろうか? ミスリードとしか言えないが。少しすると、事務の田中さんが歯科に依頼していた身元確認が到着したと僕に報告してくれた。僕はやんわりとそれを押し戻し、田中さんに封を開けてもらい、田中さんに確認結果を読んでもらった。23番さんの掛かりつけ歯科は、「本人と一致」との所見を出していた。間違いなくそれは、本人だったということだ。
田中さんに、その結果をすぐに解剖室に知らせるよう依頼した。田中さんは地下の解剖室に階段を降りていった。僕の手元の薬毒物検査は、やはりCO濃度が著しく低く、死後の焼損を物語っていた。そして、疑わしい薬物や毒物は検出されてはいなかった。



