それからスタッフ総出でその遺体の移送の準備を始めた。目の回るようなてんてこ舞いで、この時ばかりは堺教授の病休が恨めしく思えた。僕は遺体にかかりきりだたし、菅平さんも今日やらなければいけないことは全部すっ飛んで、科捜研だの検査機関に手配して資料の返還を取り付けたり、鑑定書の穴埋めと清書を田中さんに頼んだりと、夜の9時頃まで全員で仕事をして、翌日を迎えた。
県警の搬送車が到着した時には、皆の努力の甲斐あってひと通りの準備は完了していて、裁判所の許可書は確認でき、遺体その他の運び込みはそれほど手間取らず、3時頃には射創の彼は僕達の元を去っていった。その後僕達は台風の後片付けに追われた。鑑定書の控えに、この2日間の状況を文書で添付するのを僕が担当した。堺教授には連絡を入れたが、ちょっと怒っていた。熱は下がり、あと2日は感染予防のために家で療養となっていた。警察署の担当の田辺警部は、堺教授が出勤したら連絡して下さい、状況を説明に来ます、ということだった。
台風後片付けのその後は、押した23番遺体さんの鑑定書のまとめで終始した。その日は皆んな疲れきっていたので定時で帰ってもらい、7時頃まで僕だけ残った。最後にその日の日誌を書く。昨日からの疲れもあり、記入事項が多くて、頭がボーッとして来た。僕はコーヒーを淹れようとお湯を沸かしてインスタントの粉をマグカップに放り込み、熱湯を注いだ。
コンコン。
ノックの音がした。熱くて飲めないコーヒーを手に、僕はドアを振り向いた。カチャと勝手にドアが開き、そこから入って来た人を見て、僕は脱力感にうめきそうになった。
「やあ、岡本君、お疲れ様」
忙しすぎてすっかり忘れていた。何故この人はこうも不意打ち感に溢れてるんだろう…と僕は幸村警部補を呆然と眺めていた。



