僕を止めてください 【小説】




 前職場の共有のクラウドに標準鑑定書(仮)は置いてきた。使ってくれてるかなぁと、時々思う。それくらいしか僕がそこにいた足跡というものはない。まぁ、いいんだけど。きっと持て余してる。

 堺教授もここの法医学教室のインフラも少々古い。堺教授の良いところは自分の古さを自己認識しているところだ。そして新しいことをやらなければいけないけど、そこに自分がついていけないのも知っていて、新しいことは面倒くさいと思っている。そういう新しい情報や新しい技術を苦にしない人間を入れたかったので君は? と、堺教授は面接の時に僕に聞いた。パソコンはひと通り出来るし、特に検死画像診断…Ai(オートプシー・イメージングの略)を導入してみたいと言ったら、それはゆくゆくはやりましょう。いや、君がね。ということだった。

 さて、先日予定していた画像のフォルダへのアップロードとプリントアウトを菅平さんに依頼する。依頼書を作り、机の上にセロハンテープで貼る。しばらくすると菅平さんがそれを見て僕のところに来た。指示通りに僕はデジカメの入っている棚の鍵を彼女に渡す。

「はい。よろしくお願いします」
「これ…」
「ああ、どうも」

 彼女が鍵と引き換えに僕の依頼書を僕に返す。なぜかというと、今日中に仕上がるかどうか、時間がなかったら納期はいつまでになるか、という質問と、それに対する回答欄を作ったからで、それに菅平さんは律儀に記入して僕に返却してくれた。ありがたい。出来上がりは今日中だとあった。スタッフ通信と銘打った3次元ファイルにそれを追加する。こうしておけば、誰が誰になにを頼んでおいたかがすぐに参照できる。忘れっぽい堺教授がこれを多用してくれてるのが好ましい。その替わり僕が文書をつくる羽目になるのだが。

 資料やデジカメなんかは情報漏洩を防ぐために、大体は鍵付きの棚に入れて施錠する。守秘義務も厳しく課せられている。解剖後の管理は結構手間がかかる。これも機関によって杜撰なところもある。困ったものだ。色々とそういう感覚が法医学教室や各地の監察医によってまちまち。全部まちまち。それでアクシデントが起きる。臓器の取り違えとか信じられないが、そういうことも起こった。ニュースに出た時は流石に業界人として恥ずかしくなった。しかもその遺体は、解剖したと言って実は解剖していなかったらしい。どうすればそんな事態が招けるのかと逆に感嘆する。