解剖室の外に誰もいないことを確かめる。内側から鍵を掛けて、解剖台の前に立つ。息が上がってきている。はぁはぁと口で息をしている。その音が自分の呼吸ではないように聞こえる。焦躁のような頭の中を掻き回されるような、そんなうねりが僕に襲いかかった。ダメだ、一線を越えたらダメだ…。だが、ラテックスの手袋をしたまま、僕は耐え切れず遺体の表面をそっと撫で回し始めていた。凍死の遺体は綺麗だ。だがその弱さ故に生きられなかったその人への侮蔑と、一方で普通の人間なら選ばなかった狂気と蛮勇への憧れとを同時に感じると、僕の頭の中は耐え難い羨望ではちきれそうになっていた。なぜ僕はお前を見ているんだ? 何故見られているのが僕じゃなくてお前なんだ? 何故僕はここでお前を調べている? この上に乗るのは…僕だよ。
 
「おまえじゃ…ない…」

 この中に入っていけたら…僕はお前になれるのか? 嫉妬に似た怒りと欲望に操られるように、僕の手は表皮を撫で回すのをやめ、遺体の腹部の切開部分に自分の両手の指先を沈めていった。ゆっくりとその傷を押し広げていき、指でかき分けていくと、独特の感触が指先に伝わり、すでに興奮しきっていた僕はそこで腰から砕けそうになった。胃腸を調べ始める。内容物の確認と、検体の確保。身体は淡々と慣れた作業を続ける。胃から溶けかけた錠剤らしきものが出てくる。パックに取り分けて保存する。

 その死を奪い取りたい。僕のものにしたい。いや、僕がいじられたいんだ…こうやって僕がこの上でこの僕が押し込まれたい誰かの欲望を。
 激しく興奮して固く張り詰めた股間が、重く僕の神経を支配し始める。なぜ、僕が我慢していることをこんなに平然と実行できる? 君は、ずるい。僕がどれだけこの行為を望んでいるか、わかっているのか? こんな風に僕を挑発して、無関心で、置き去りにして…

 置き去りにして…行ってしまった…

 行く…な……連れていけよ…


 不意に涙が頬を伝った。