高3になるまでに、医大は私学には絶対に行けないことは、学費のことでわかっていた。そうすると国公立の医学部で偏差値のなるべく低いところを狙うしかなかった。しかしそうすることで、必然的な風を装って、実家の母と小島さんと寺岡さんから目の届きようもない、遠い地方の国立大に行ける。そうすればうまく交流を断てるということも狙えることに気づいた。

 なるべく北の、暑くない、今よりも人の少ない土地へ。色々と調べているうちに、東北の某医学部が法医学に力を入れているという情報があった。僕は、そこを第一志望にした。そしてその計画を実行に移すべく、ひたすら受験勉強に時間を費やした。それに時間を費やすことで、誰ともなるべく交流をしないという言い訳を作った。実際医学部に入れるかどうかは、ギリギリの賭けだったし、苦手な英語の克服にかなりの時間を使ったため、他の科目をカバーするのに、倍の時間が必要だった。

 高校を卒業したらいきなり慣れない一人暮らしをするということになる。生活を具体的に考えたら仕送りでやっていくのには自炊が必要だと判断した。高校三年になって母親からご飯の炊き方と味噌汁の作り方を習った。味と量はどうでもいいので、その2点に必須栄養素を詰め込むことにした。包丁の使い方とメスの使い方は似てるんだろうか。そんなことを考えながら、味付けや、調理法、野菜の皮を剥いたり、火を通しやすい形状に切る術を母から学んだ。学びながら母を無視するのは至難の業だったが、母は楽しそうだった。

 慣れるために、夕飯の支度を手伝う。いままでしなかったことが、こんなことだったのかと、毎日の変わらない繰り返しをずっとしてきた母に驚いた。

 そんな背水の陣で、僕は賭けに勝った。そして計画通り故郷を出た。遁走…今いる場所から。後先の事など目もくれず、それしか考えていなかった。当時の僕は。そこが見知らぬ土地だろうが、どこだろうが、知ったこっちゃなかった。小島さんや寺岡さんからはたまに電話が掛かってくる。元気です…と答えて、僕は彼等を安心させなければならなかった。二人はけんかもするが、概ね幸せそうだった。結局僕はその二人に嫉妬することはなかった。僕の見えないところで幸せでいてくれればそれでよかった。

 そして新しい場所で、僕は自分を閉じ直した。