「興味ないって違う世界見てるお前をさ、ここまで育てて、虐待のひとつもせずさ…俺もお前の母ちゃんも血がつながってるわけじゃない。でもさ、人間の遺伝子にはそういう機能が組み込まれてるんだよ。母性本能とか父性本能とか言ってさ。狼に育ててもらった子供までいるんだぜ? まぁ、子供虐待死させる親より狼のほうが優しいのかもな。いや、腹が減っていればそこで食っちまうかもな…てことは虐待親ってなぁ腹が減ってるんだろーな。腹っつーか心が飢えてるのかもな」

 隆は笑った。

「はは…大丈夫だよ。お前の今の母親はお前にちゃんと餌くれるくらい飢えてねーんだよ。心配なら俺と同じように前みてぇに興味なくせばいいさ。お前の母親はもう慣れてるんだろ? それでもまだ母親が心配するのがいやなら、寺岡に言って言いくるめてもらえばいいんじゃね? どうやらお前の母親に取り入ったらしいしな。策士が」

 僕は泣いていた。血が繋がってない母親が、僕をずっと見てくれていたそのことに。鼻に歯磨き粉詰めた僕を血相変えて病院に運び、わからないなりに考えて恐竜のソフビを買ってくれたり、僕の自殺未遂を説得し、進路を一緒に悩んで、僕の様子がおかしいと心配し、寺岡さんにまで相談して。

(見てるわよ…わからないかも知れないけど)

 切った手首を見られたあのとき、ようやく僕は母親の存在に気がついた。そこで言った母のあの言葉が、今の僕に突き刺さった。自殺未遂をした僕をどんな気持ちで受け止めていたんだろうか。僕は隆が自殺しかけたあの時のことを思い出した。どうしていいかわからないくらいの混乱と心配。それをあの時の僕に母親が感じていたんだとしたら。

「隆…お母さん…僕見るの…大変だったろうね…」
「ああ、困ったと思うぜ。色々なとこでお前、普通じゃねーから。でもな、お前普通じゃない割に、心を開けば人の心配するし、よく人のこと見てるじゃねぇか。俺を立ち直らせようと必死になってくれてよ…あれはお前の母親がそういう人間だからだぜ、きっと。お前、こんな変わりもんなくせに奇跡的に良いヤツに育ったのはさ、お前の性格もあるけど、半分以上は母親の努力の賜物だって俺は今なら思えるわ。俺、今話していちばん共感できんのって、お前の今のおふくろさんだけだと思うぞ」

 涙が止まらなかった。もう言葉は出てこなくて、思いだけが溢れた。隆は黙ってずっと後ろから抱きしめてくれていた。不思議なのは…いつも不思議なのは、なんでこの人達は僕のことをこれほどまでに見ていてくれるんだろうかということだった。佳彦も僕を見続けた。隆も寺岡さんも、そして母も。感覚を遮断して、心を閉じ、死の世界に閉じこもって、死以外なににも興味のない僕を。この人達を、死なせるわけにはいかない。僕はその時、心の中でそう決意した。

 ねぇ、僕の本当のお母さん。僕をまたあなたのシェルターに入れて下さい。僕が誰かを死なせないように、あなたの死の胎で、僕を世界から隔離して。お願い。出来る事ならそこから出ないように、僕を止めておいて下さい。

 僕は心から願った。帰れるかな…いや…帰らなくては…絶対に。

 しばらくして僕はそのまま眠ってしまったようだった。