「死神だって言ったの…隆だよ…なんで気づかないの? わかってるんでしょ? 逃げてよ。僕から逃げてよ!」
「それが裕君のトラウマだよ、小島君」
いつの間にか寺岡さんが正面のドアを開けて立っていた。左手は左の頬に何か四角いものを当てている。よく見ると、唇が腫れて切れていて、血糊が干からびて口元にこびりついていた。頬も腫れているようだった。隆が寺岡さんに気を取られている隙に、僕は隆の脚の間から抜け出した。僕はベッドの上で座ったまま隆に向かい合った。
「トラウマって…なんだ?」
寺岡さんに気づくと、隆はいきなり機嫌の悪い声に変わった。
「君が自分に追い詰められて自殺未遂したって思ってるんだ、裕君は。ずっとそれで裕君自身が追い詰められてるんだ。また君が死ぬほどの苦痛を自分のせいで味わうんじゃないかって、ずっと思ってるんだよ、裕は!…っつぅ…」
叫んだ瞬間、とても痛そうに顔を歪めて、寺岡さんは四角いものを当て直した。それは例のあのとき使った保冷剤みたいだった。寺岡さんは僕を見ると、それでも痛みをこらえた変な顔で笑った。
「起きたんだね…良かった」
「寺岡さん…それ…どうしたの?」
「見てわかるでしょ? そこの野蛮な筋肉バカに殴られたの。グーで」
「隆…!?」
「当たり前だわ…どこをどうやればお前を殴らねぇって選択肢が出るんだよ? この状況」
いろいろ寺岡さんにも問題がありすぎて、殴るなんてひどすぎるという非難はとっさに出てこなかった。まず、僕との約束を破ってるし、もう恋人の位置から僕が下りているからそこには非がないとは言え、隆に内緒で僕を抱くというのは、それがたとえ僕のためだったとしても、隆はよく思わないのは当然だし、そもそも僕を手に入れるためにこんな画策をしたんじゃないかとまだ隆が疑っているようにも思えるし、よく言う“梨下に冠を正さず”というような状況を敢えて積極的に地でいっていて、すべてを総合すると、隆にとって寺岡さんは限りなく黒に近い灰色だなのだった。だが、そんな誤解と偏見の中で、寺岡さんは勇敢にも隆に食って掛かった。
「状況が逼迫してんだろーが! このヘタレ! 君が裕君を強引にでも呼び出してたら私だって遠慮してたっての!…いっつつつ…クッソ…罵倒もろくに出来やしない」
それを聞くと隆は言葉に詰まり、そして黙った。



