僕を止めてください 【小説】





「脅迫ですか? 大人気ないなぁ」
「いや、レポートの結果をお母さんに報告するだけだよ。別にいいんじゃないか? なにもなかったんだから。なんでそれ、脅迫だって思うの? 変じゃない?」

 ああ。さすがだ、寺岡さん。踏んでる場数が違う…と僕はうんざりしながら感心した。

「戸籍を見に行ったのがちょうど1週間前だったみたいですね、って言おうか。でも裕君は別になんの問題もない戸籍だったって言ってましたよ、ってね。それ聞いたらお母さんが何て言うかな?」
「言えばいい」
「へぇ…じゃあ今から電話替わってもらえる?」
「寺岡さんが僕になにしたか話しますけど。いいですか?」
「ほう…そう来たか。良いとこ突いてるじゃない。良いよ。言えば? どうせ私エイズで死ぬし。お母さんに嫌われようが、犯罪者になろうが、准教授の椅子なんかもう要らないし」
「まだそんなこと言ってるんですか!!」

 僕は叫びそうになった。隆のことどうしてくれるんだ。

「良いよ、言えばいい。でもわかってるよね。相討ちじゃないよ。君のほうがダメージ大きいんじゃない? 計算してみなよ。私のほうが攻撃力もHPも高い。君も私も捨て身だけどさ、君のほうが大事なものが多いんじゃない? 今となってはさ」
「鬼畜ですね」
「君もね。お互い様だってば」

 僕と寺岡さんはちょっとの間、沈黙した。口を開いたのは、結局寺岡さんだった。

「…裕君、君さ、思ってるよりピンチだって」
「いえ、とんでもないです。僕はもう帰ったんで。迷子は終わりです。寺岡さんの仰るとおりに。だからもう誰にも頼る必要もなくて、ここで安心して僕は居られる。だからもう独りにしておいてくれませんか?」
「じゃあ、尚更別に話してくれてもいいじゃない。君はそこに居ればいい。僕はここで話を聞く。だめなの? 平穏ならなんでも話せるでしょ?」
「いえ…また誰かにここからひきずり出されるかも知れないんで」
「でも君は入り口を見つけたんだろ? どこに行ってもまた帰ってこれるんじゃないのか? それとも帰ってこれたのはただの偶然か?」
「偶然じゃ…ない…」
「じゃあ、フリーパスだろ? 君は自由に行き来できる。違うのか? それとも確信がないのか?」
「そんなの…知らない…」
「そんなの入り口なんかじゃないな。君は本当に帰ったのか? ただ世界をシャットアウトしただけだろ。君は傷ついた。君は自分の過去に深くショックを受けた。それで自分を殻に閉じ込めて、君の言う死の世界に帰ったってごまかしてるだけなんじゃないのか!」

 それを聞いて僕に激情がこみ上げてきた。それは多分怒りというものだろう。僕がなにと引き換えにこの世界に帰ってこれたと思う? ここではごまかしなど通用しない! 生きているあなたに僕のなにがわかるっていうんだ!!

「違う! 僕は帰ったんだ! もう騒音は要らないんだ! 寺岡さんにわかるわけ無いでしょ? 僕は生まれた時から死んでいただけじゃない! 僕は屍体から生まれた屍体だった! そこが僕のポータルなんだって!」

 ハッと我に帰った時にはもう既に遅かった。しまったと後悔しても一旦出てしまった言葉は元に戻せなかった。