僕を止めてください 【小説】




 1階に着くと、エントランスの壁際に長い焦げ茶のソファが向かい合わせに何列も並んでいて、4人ほどの人がまばらに座っていた。僕は人のいない一番端のソファに腰掛け、カバンを隣に置いた。もらった封筒をカバンと自分の間に挟み、手渡されてから同じ形でずっと右手に持ってた除籍謄本を両手に持ち替えた。これがシュレディンガーの箱の正体だ。小さい裕、開けるよ。猫が生きていても死んでいても、君は良いって言ったね。観測者の僕は“箱”を開けた。そこには3人の人間の名前が、こう記されていた。

【本籍】◯◯県◯◯市×町2丁目48番
【筆頭者氏名】岡本 知行
【夫】知行
【妻】裕美子
【長男】裕


 おかもとともゆき…ゆみこ……
 ちょうなん…ゆう……

 そこには今はもう無い、僕の元の家族の残像が遺されていた。そしてそれがすべて×で抹消されていた。小さな裕が茫然と呟いた。

(ぼくの…ほんとうの…おとうさんと…おかあさん…いたんだ。ほんとうにいたんだ…)
(ああ…そうだね…見れてよかった…書いてあって良かった…これでいいの?)
(まだもっと書いてあるよ。なんて書いてあるの? 僕も見たいよ…)
(わかった。続きを見ようね)

 小さな裕に促されるまま、僕は改めてその書類を見渡した。知行・裕美子・裕、すべての名前の上に大きくバツが重ねて書いてあった。それは除籍謄本だから当然だった。記載は父母の生年月日、出生地、結婚して入籍した日…とそれぞれ記載されていた。入籍の後に、記載が続いていた。だが、それを読んでいるうちに、いつの間にか僕の手は小刻みに震え出した。それは父親の記載の最後の行を読んだ辺りからだった。