その日以来、僕の中に“小さい裕”という人格のようなものが生じていた。僕はそれを自分のような他人のような、自分ではあるものの、全くの自意識とは違うものと認識した。人格を分けることで、僕は空白を自分からなんとか切り離そうとしていたと言える。それはこの状況の中で僕が無意識に行っている、精神を保つための最低限の対処法かも知れなかった。幾日かすると、僕たちはいつの間にか頭の中で会話をするようになっていた。

(どうして欲しい?)
(どうすれば僕の本当のお父さんとお母さんがわかるの?)
(そうだね。調べてあげる)

 父は依然として変わらず、家に寝に帰ってくるだけだったし、元気のなかった母はいつもと変わりないような感じに回復していた。僕も全く同じなのにすっかり変わってしまった風景の中でも、いつもと変わらずに振る舞い続けられた。他にどう振る舞えばいいかなんてわからなかったというだけのことだった。考えてみれば生きている世界に興味がなかった頃に戻っただけなのだろう。父には感謝した。関わってこなかったのは正解だった。母には少し困った。手首を切って以来、少し近づいてしまったからだ。ご飯の時に会話するようになっていたし、共通の知り合いである寺岡さんの件もあった。そう言えば、と僕は夕飯の時に母の顔を見て思い出していた。僕が手首を切った時に、動転した母が一瞬言いよどんだことがあったな。今ならそれがどういう意味かわかった。

(とにかくダメ。絶対に死んじゃダメ。あなたを産んだお…)

 きっと、“あなたを産んだお…かあさんは、あなたを死なせるために産んだんじゃない”って言いそうになったんだろう。いったいその母は生きているのか死んでいるのか…どうして僕を手放すことになったのか。小さい裕の要望で、インターネットで僕はそれらを知る方法を探していた。どんな風に検索すればいいのか、今のところよくわからないまま検索していた。まだ答えはない。検索のワードをよく考えて、もっと有効なものを選ばないと出てこないだろう。もしくは市役所に訊くか、それとも寺岡さんに訊くとか。それももう今は気力がなかった。

 不意に隆に電話したくなることもあった。でも、それは甘えだと思った。関わるのは隆の迷惑だ。言ったらきっとすぐに飛んできてくれるだろう。僕を抱きしめてくれるだろう。僕はそこで泣くのかも知れない。それはもう許されないことだ。それが出来るなら、寺岡さんの部屋であんなことを隆に告げた意味がなくなる。それよりも…早く寺岡さんと仲直りしてくれないかな。そう僕は思った。