僕を止めてください 【小説】





 部屋に入って、また例のソファに座った。彼は僕にコーヒーでも飲むかと聞いた。はい、と僕は答えた。今回は本当に、アイスコーヒーがガラスのタンブラーに入って僕に手渡された。

「微糖だけど、甘いのが良かった?」
「これでいいです」
「あのさ、僕のこと“あなた”っていうのやめない?」
「名前、知らないです」
「ええっ!? だっていつも図書館で胸に名札つけてるじゃん!」
「そうでしたっけ…」

 全く記憶にない。名札…だいたい、生きてる人間に興味がないのに、その名前に興味があるわけがない。

「すいません。見てないです」
「あ、そう。もう…やだな。松田です。覚えて下さい。松田佳彦です」
「まつだ…よしひこさん?」
「そうそう。佳彦って呼んで。君からあなたって言われたくない」
「人の名前覚えるのホント、苦手なんです」
「覚えるまで毎回言うよ。ほら、言って、まつだ…よしひこ」
「まつだ…よ…よしひこ」

 なんだか口が乾いてきた。舌がうまく回らないので、アイスコーヒーを飲んだ。

「僕も君のこと、裕って呼ぶよ、いいね。ゆうって良い響きだ。呼びたいな」
「なんで僕の名前知ってるんですか?」
「あのさ! 毎回図書の受付してるでしょ!」
「ああ…そうですね。当たり前か…」
「僕のこと…どう思ってるの?」
「え…?」
「僕は君が好き。君はどうなの? 僕のこと、好き?」

 意表を突いた質問に僕は一瞬絶句した。どうって…僕は…生きてる人間には…興味ないんだけど。