「それ聞いた時の彼の顔がとても…とても嬉しそうでね。さっきの笑わない目がそれを聞いてるうちになんだか恍惚としてくるのがわかったちゃった。君が壊れかけてるのが良かったのか、なんなのか、詳しくはわからなかったけどさ、『じゃあ、好きそうなの後で何枚か送ります…ここにメアド書いて頂けます?』って私があげたカード裏返して、そそくさとペンを貸してくれてさ。書いてその紙を受け取るときのその顔がね…夢見るような顔…っていうのかな、あれは。嬉しそうにフワッと笑ったんだ。そんなこと言われたら、普通は警戒してそんな頼み事突っぱねられるに決まってんじゃん。『好きそうなの』って皮肉で言ったんじゃないの。脅しでもない。本当に君にあれをもう一度見せたいって思ってるとしか私には思えなかった。君が狂わされただけじゃないんじゃないのかなって、それを見てフッと思った。あの男も、もしかして君に何かを持って行かれたのかも知れない……そういう怖さがあったんだ。ゾッとした。マジでね」

 話を聞いているうちに、最初の驚きがだんだん違う気持ちに変わっていくのを感じた。次第にその気持ちは大きくなり、それはとても激しいこみあげてくるなにかに取って代わられた。その感じはあの時、手首を叩き切った時の焦燥のようなものと似ていた。カッターナイフを握りしめながら、僕は今頃彼も気が狂ってるのではないかと思っていた。それは間違いではなかった。間違ってはいなかった…僕は引きずり出されたかわりに彼から何かを引きずり出していた。

 やっぱり相討ちだったんだね、佳彦。お互いそうやって追い詰め合って、そこから僕達はあと一歩でゴールだったのに。それなのにあなたは…あなたは!
 かすかに手首が疼くような気がした。僕はその傷を指でなぞった。

「ずるいな…佳彦、ほんと…ずるい」

 僕の口をついて出た言葉はそれだった。

「え…なんて言ったの?」
「それでよかったはずなんです、犯罪者になっちゃだめだし」
「うん…」
「でも、やっぱりずるいな…ちゃんと殺してくれなかったのに…いまさら…僕に嬉しそうにそういうの送ってくるの…ひどいです。そんな嬉しそうに気が狂うんなら…なぜあの時僕をちゃんと殺してくれなかったんだろう?」

 僕は傷口ごと手首を右手で握りしめた。左手が震えていた。寺岡さんが静かに口を開いた。

「裕君…君、怒ってるんだね」
「怒ってるん…ですか、僕。これが怒ってるってことなんですか」
「うん。そう思うよ。とても怒ってるね。彼のしたこと」
「うん…だって…この世界にひきずり出されて…引っ張りだしておいて…ちゃんと殺してくれないなんて…無責任じゃないですか! 僕はどうすればいいんですか! それが結局隆も寺岡さんも巻き込んだ。僕は今だって途方に暮れてる。佳彦が僕を引きずり込まなければ、それかちゃんと殺してくれれば、こんなことなかったのに!」