予感は的中した。検案書のとおり遺体には拘束されたような圧迫痕も外傷も特になかった。でも僕にはわかる。

 自殺者の死体の匂い。

 なぜならそれは、僕が最も憧れ、そして軽蔑している人たちの匂いだからだ。
 その匂いは生理的な嗅覚に訴えるものではない。絶望や落胆に臭いがないのと同じだが、その香りは脳内に直接イメージされる。生前のビジョンすら伴うこともある。強烈な負の感情、戦うことより死への逃避を選ぶ弱さ、追い詰められて抑圧された恐怖、苦痛に満ちた生から解放されることへの止めどもない執着と憧憬、運命への激しい怒りと無力感…それらのものが渾然となって、ひとつのゴールである“自分殺し”という行為に駆け昇るその瞬間を見ることがある。

 メスを入れ、開胸し、写真を撮影し、血液を採取しながら、くらくらするその匂いに僕は酔った。頭の中から始まるその陶酔は、さほど間もなく胸の中の感情を犯し、またたく間になぜか下半身に到達する。その意味はどうにでも分析できよう。タナトスとでも呟けば、すべてが理解されるのだろう。だが、僕のそれを押しとどめる術は、自分も、ほかの誰も持ちあわせてはいない。その陶酔に続く狂気については。