図書館で初めて遺体の写真を見たのが小学生の低学年の時だったか。何の本だったかは記憶にない。お棺の中のその遺体には、鼻の穴に真っ白い綿が詰めてあった。その白い色が、家に帰ってもずっと頭の中に焼き付いていた。
それで自分の鼻の穴にティッシュを詰めてみた。しかし、ティッシュはザラザラしていて感触が悪かったし、鏡で見てもあの白さが再現できなかった。脱脂綿を探したが、救急箱の中には入ってなかった。寝る時間になって、歯磨きをしようと歯磨き粉のチューブを押したら、真っ白いペーストがニュルッと出てきたのを見て、あっ、白い、と思った。これを鼻の穴に入れたら、僕の思うようなイメージ通りの真っ白な鼻の穴になると思った。そのアイデアがとても良いと思ったので、後先考えずにいそいそと僕はチューブから直接鼻の穴に歯磨き粉を詰めた。
左右の鼻の穴に詰めて鏡を見ると、それは僕のイメージ通りの白さだった。僕はとても満足な気分だった。しかしそれも束の間、ミントの匂いと洗浄剤に刺激されて、鼻の奥から鼻水と涙が流れ落ちてきた。僕の鼻の穴から白い液体がダラダラ流れ落ちてくる。とても残念な気分だった。僕は予想外の事態にそのまま鏡の前で立ち尽くしていた。
母親がいきなり洗面所に入ってきて、僕の顔を鏡越しに見るなり、キャーっと叫んで僕の顔を手で挟み、鼻の穴を見た。母親は垂れてくる液体を指に取り、匂いを嗅ぐと、これ、歯磨き粉!? と、僕に問いただした。うん、と首を縦に振ると、鼻をかみなさい! 鼻をかんで! とティッシュを取りながら母親は叫んだ。その後は寺岡さんと隆に話したように、夜間診療の小児科に行き、鼻の穴を洗浄してもらった。
こんな思い出、まだ記憶にあったんだと、僕はちょっと驚いた。いままで一度も思い出したことがなかったからだ。記憶と匂いは結びつきが強い、ということが机上の空論ではないということが、この体験で僕にも理解できたように思った。学問が実際の経験に反映されるということを僕は知った気がした。



