僕を止めてください 【小説】




「あの、ひとつだけ」
「あるの!?」
「おい、お前ら、いいから座れよ」

 隆が呆れたように、ひとりだけソファで足を組んで座っていた。寺岡さんは隆を制止した。

「いま、大事なとこ! 立っててもいい」
「あっそ」
「どんな記憶? 聞いてもいいかな?」
「ええ、大したことじゃないです。小さい頃、寝る前の歯磨きで、歯磨き粉を鼻の穴に詰めちゃったことがあって」
「おーい、なんだそりゃあ」

 こらえきれずに隆が噴き出した。

「理由は…よくわかんないです。多分…チューブの口から出てきた歯磨き粉が鼻の穴にちょうど入る太さだったんじゃないかな」
「ぴったりだったから入れたの?」
「…そんな感じかも」

 ぶははは…と寺岡さんも笑い出し、大人が二人で腹を抱えて大笑いする中、僕は続けた。

「なにをしててもミントの香りしかしなくて。そのうちに鼻水と涙が鼻腔に溜まってきて鼻の穴から白い粘液と泡がダラダラ垂れてきたんで、母親がびっくりして僕の鼻の穴を見たら真っ白だったんで、さらにびっくりして夜間診療の小児科に連れられて行って、洗ってもらった記憶があります」

 二人はまだ笑っていたが、寺岡さんが急にマジ顔になって僕を指さした。

「それだ! 嗅覚野にイメージの構成なんかさせておかないで、現実の匂いを嗅がせて本来の働きに戻す! 君の嗅覚野は、嗅覚の仕事を放棄させられて、イメージの統合をやらされてる可能性がある! ミントだ、ミント!」
「えっ! また歯磨き粉詰めるんですか!?」
「いやいやいや、歯磨き粉は界面活性剤入ってるし身体に悪いだろ。たしか、去年の猛暑で使ってたのがまだあったはずなんだけどな」

 そう言いながら寺岡さんは、ミントを探しに廊下に出て行った。