僕に頸動脈洞過敏症候群という病名がついた。それは小島さんの言ったように、首を絞められて落とされているうちにそうなってしまったのか、それとももともとそんな病因が僕にあったのかはわからなかった。絞められないのに落ちたのは初めてだったが、自殺遺体を見て気が遠くなるような感覚になるのがその前駆症状とも言えた。

 しかしそれから僕は、故郷に戻れるような確信に似たなにかを感じたことは間違いなかった。いままで迷子として彷徨った世界を振り向く気が失せていく。肉体の感覚が曖昧になり、意識から消えていくような感じがした。佳彦と出会う前の僕。

 検査が済んで僕は退院した。脳は脳波も器質的にも問題がなかった。認められたのはただ過敏な自律神経の症候だった。失神を繰り返すようだったらペースメーカー治療をしなければならないという。今は経過観察だから、頚動脈洞圧迫につながる急激な頚部回旋、伸展などの行動は避けるように言われた。特にネクタイ締め、着替え、自転車の運転、荷物の上げ下ろしなどの行動に伴って症状が出やすいので、それらの誘因を避けるようにと指示が出た。高校の制服はネクタイだ。

 小島さんは鬱の希死願望が再燃しないように、もう少し長く入院させられることとなった。鬱の薬も出て、酒を飲まなくても夜眠れるように睡眠薬も処方された。仕事は病休で休むことになった。初めて仕事に穴を開けたと小島さんはぼやいていた。