《消化と吸収》。生きている人間の営みだと思うからアタマに入らない。これは食餌として殺された屍体を、さらに細かく分解する“地上の虫”として人間を見ればいいのかも知れない。僕はその視点から教科書をもう一度読んだ。屠殺された牛が捕食者の胃の中でタンパク質を膵液で溶かされてアミノ酸に分解される。うん…それは当然だ。バラバラにされたアミノ酸は、捕食者の肝臓に溜め込まれる。牛の肉塊は跡形もなくなる。
《光合成》。光が閉ざされた闇では、デンプンは生成できない。僕の好きな秋を思い浮かべろ。寒さと太陽の衰弱で葉緑体が分解される。葉は機能を失う…
僕は生き物に関する一切興味のない範囲を、狂ったように死の色で塗り替える作業に没頭した。現象が逆さまでも用語やその原理と機序の記憶さえ出来れば、あとは論理的に考えれば正しい答えが出てくるはずだ、と。塗り替え終わった後、僕は受験する高校の理科の過去問題を試しにやってみた。生物が多いと足切り点に届かなかったものが、それ以降7割以上取れるようになっていた。
この経験はそれからの僕と生きている世界との関わりの中で、とても役に立つ視点となった。生きているものは必ず死ぬ。始まりのあるものには終わりがある。
そもそも世界はエントロピー増大の法則に支配されている。自然(世界)は、常に、エントロピーが『小さい→大きい』という方向に進む。すわなち、自然は『秩序から無秩序へ』という方向に進む。それは、《生→死》とも言えた。世界はそれに抗って蠢いている。だが僕だけはこの世界を支配している大いなる法則に従っているのだ。
死神だな、お前は。
そんな小島さんの声が耳の中で響いた。お前は大事なものを奪っていくんだ。
僕の中に小さく痛みが走った。それは意外だった。いつから僕はそんな風になったのか。それは前なら痛みではなかった。そもそも人はなぜ抗うのか。寒い夜に鉛筆を握ったまま、僕は耳の中の音を消せなかった。



