中学3年の夏以降、そんなに高くない身長も急に伸び始め、いきなり声が出なくなり、ある朝ヒゲが生えて来た。僕は普通の男子と同じ第二次成長期に差し掛かっていた。出なくなった声が出る頃には以前より低い声になっていたが、身体が華奢なせいか、ものすごく低い声にはならなかった。でも、出なくなった声で小島さんの電話に出て、ビビられた。この変化を小島さんは恐れているのかと思った。小島さんはまだ、僕への気持ちが途切れた後も、関係を続けるかどうかということに答えは出していなかった。優しくて淋しがり屋の小島さんにとって、過去の3回の理不尽な別れは深いトラウマになっていたからだろう。だから僕は小島さんが言い出すのを待つともなく放っていた。

 秋には進路指導があるというので、母親が三者面談に呼び出されることになった。それを母親に伝えたところ、これからどんな進路が希望なのかということを聞かれた。夕飯の後、久しぶりに母親と話した。将来の夢とかあるの? と聞かれて、さすがに“死ねたら嬉しい”とは答えなかった。そういうことは言わないの、というのが母の希望だったから。
 
 とは言うものの、僕がどうすればこの社会と折り合いをつけて死んでいるまま生活していけるのかがわからなかった。何かを創るとか、産み出すとか、僕の中には有り得ない。しかしそんな仕事ばかりが仕事として成立しているわけで、この世は生きるために生きている人が動かしていることを、とてもよくわかった。

 だが、ひとつだけ、僕には示唆があった。それは最後の日に佳彦の言った言葉だった。

(君が刑事か法医学者だったら、迷宮入りの事件とか冤罪は減るんだろうな)

 本物の屍体を僕はまだ見たことがない。それを直接見るには、医大か葬儀屋だろう。医大でも人を治すのは僕の仕事ではない。それぐらいしか話すことがなくて、僕はそのまんま母親に言った。

「僕は生きているものにはあまり興味がないんだ。だから解剖医とか法医学とか葬儀屋とか、死んだものを扱う仕事じゃないと、きっとこの社会で生きていけないんじゃないかって思ってるんだけど」