第9話(side story 7)


 弥の持つ明るさや前向きさは天性のものだと勇利は思っていた。クラス内ではしゃぐ様子を見ている大半の生徒もそう思うだろう。しかし、駅の待合室で勇利だけが見た弥の本当の顔は、とても傷つき易く繊細なものだった。
 十歳以上離れた大人の女性とは言え、殊恋愛についてアドバンテージはない。いくつになっても恋をすれば不器用になり、普段見せている顔とは違った素の顔が全面に出る。年上の女性とばかり付き合ってきた勇利はそのことを身を持って体験しており、男女の付き合いに年齢は関係無いと理解していた。
 あの日から早一ヶ月、弥とプライベートな時間を持つことは無かったものの、目線が合うと優しい眼差しを向けられドギマギする。変に意識し挙動不審に思われるのもカッコ悪いと思い平気な顔で見つめるが、内心は短距離走を繰り返した後くらい鼓動が早くなっていた。

 休み時間、弥のことを考えながらボーっとしていると目の前に真紀が立つ。
「空条君、最近全く生徒会室に顔出さないけど、どういうこと?」
 不機嫌そうなその顔を見ると一気に面倒臭さが湧いてくる。
「すみません。体調不良で」
「そういうふうには見えないけど? 街で遊んでる姿を見かけたこともあるし」
 サボりを知りつつ回りくどく聞いてきた事を悟ると輪をかけて嫌気が増す。勇利の中で計算高い女性が一番嫌いな属性というのもある。
「じゃあ辞めます」
 あっさりと言い切る勇利に真紀は即行でキレる。
「はあ? アンタ何様? アンタが居ないことで他の人がカバーして、困ったりしてるのを何とも思わないの?」
「じゃあどうしろと?」
「辞めるなら迷惑かけた生徒会のメンバーに一言謝ってからにして。そうでもしないと許さない!」
 怒り心頭の真紀に周りの生徒もざわつき始める。痴話喧嘩で注目を集めることには慣れている勇利だったが、こんなシーンを弥にでも見られるとイメージダウンとなり兼ねない。本来なら対抗して言い負かせるところだが、弥との関係を考慮し勇利は直ぐに折れる。
「分かりました。放課後生徒会室に行きます」
 すんなり受け入れる勇利に真紀は少し戸惑うが、必ず来るように伝え足早に去って行く。弥のために、弥との関係を最優先に考え行動する。そんな自分が可笑しくもあり、完全に恋の病に罹ってしまったのだと認識する。窓の外を眺めながら勇利は弥の笑顔を思い浮かべ何度も溜め息を吐いていた。

 放課後、真紀との約束を完全に忘れいつものように街をブラブラ歩いていると背後から呼び止められる。
「空条君」
 聞き慣れた声に振り向くと、そこには弥が立っている。
「こんばんは、先生」
「こんばんは、買い物中だった?」
「いえ、特にやることなくブラブラと」
「あはは、ダメよ。もう六時前だし、ちゃんとお家に帰らなきゃ」
「八時過ぎまで一緒に晩御飯食べて酔って絡んでた先生に言われてもね」
 意地悪なセリフに弥は申し訳なさそうな顔をする。
「もう、それ言われると何も言えないでしょ? 意地悪ね」
「冗談ですよ。それより、先生も買い物か何かですか?」
「ええ、ちょっと参考書を買いにね」
「じゃあ一緒に行っていいですか? ちょうど欲しい漫画があったんで」
「いいけど、今日は奢らないわよ?」
 顔を近づけ笑顔で釘を刺す弥の姿にドキドキしながら頷く。駅中の書店まで並んで歩いていると、初めて食事に行った日を思い出し温かい気持ちになる。校外で一緒に歩くのも三回目となりだんだん自然になってきてはいるが、相変わらず緊張感だけは存在し心肺を加速させる。恋人同士になれたらまた違う心境となるのだろうが、それがいつになるのか、そもそも訪れるのかすら今は分からない。いろいろと試行錯誤しながら歩いているとおもむろに話しかけられる。
「この前はありがとう」
「え? 何がですか?」
「話を聞いてくれて。友人も喜んでた」
 友人という単語で待合室のことだと理解し頷く。
「空条君の言うとおりだと思う。もっと前向きに捉えて日々を送らないといけない。じゃないと教師になった意味もなくなっちゃう。後ろ向きな教師なんて尊敬されないしカッコ悪いものね」
 そう言う弥の横顔は清々しく、相談に乗れたことに勇利は誇りも感じる。
「ねえ、空条君。空条君って将来の夢はある?」
「夢ですか? 正直ないですね。現状でいっぱいいっぱいなんで」
「そう、これからいろいろ思い悩み迷うことがあると思うけど、空条君は教師に向いてると思う」
 教師という唐突な単語に勇利は面をくらう。
「いやいや、こんな中途半端な人間が教師なんてありえないです。だいたい女の敵ですし」
「そうかな? 私は空条君って優しくて思いやりのある人だと思うけど。まあ、女の敵っていうのは否定もしないけど」
「それはそれでショックなんですけど」
 恨めしげにクレームを出すと弥は楽しそうに笑い、つられて勇利も苦笑いする。
「でも、もし、空条君が教師になったら、生徒第一号は私になるわね」
「えっ?」
「だって、私のお悩み相談に乗ってくれたもの。期待してるわ」
 弥はそう言うと微笑み返す。そんな二人の様子を意味深な目つきをしながら携帯電話のカメラで撮影する人物がいる。
「絶対許さない……」
 彼女はそう呟くと気づかれないよう二人の後をつけていた。