第7話(side story 6)


 汗をかきながら資料室と焼却炉を幾度も往復し、全てが終わる頃には完全に日が暮れる。普段グラウンドで遅くまで練習している野球部ですら帰宅しており、勇利は引き受けたことを少し後悔していた。疲れ果てて資料室の床に座りこんでいると弥が缶ジュースを片手に寄り添ってくる。
「お疲れ様でした。はい、ご褒美」
「ど、どうも……」
 長時間労働でジュース一本の報酬では割が合わないと思うが、当然ながら文句を言える相手でもなく渡された缶ジュースを素直に飲む。弥も汗をかいており、その姿はどこか色っぽい。まじまじと見つめていると弥が視線に気がつく。
「ん? 私の顔に何かついてる?」
「いえ、すみません、何も……」
「あ、さてはこんな遅くまでコキ使いやがってとか思ってる?」
「いえ、そんなことは……、う~ん、ちょっとはあるかも」
「あはは、やっぱあるんだ。ごめんね~」
 弥の笑顔ながらの謝罪を見ると勇利の疲れも軽くなる。それは弥のことを勇利自身が特別視していることの表れでもあり、自分の気持ちを再確認すると輪をかけて緊張感は増し視線は逸らさざるを得なくなる。弥も視線を前に向け、窓の景色を見ている。昨日に続き訪れた告白タイミングに勇利は心を落ち着かせて口を開く。
「先生」
「何?」
「あの、その、す、す、すみませんが晩御飯奢って下さい」
 口に出た言葉は想いとは掛け離れてもので、内心うな垂れる。
「うん、最初からそのつもりよ。じゃあ、鍵を閉めて食べに行きましょうか」
 そう言うと元気よく立ち上がり、テキパキと帰り支度を始めていた。

 自己嫌悪に苛まれつつ着いて行き、晩御飯にと誘われた洋食屋で事件は起きる。本来ならばいけないことだが、年上の女性とばかり付き合ってきた勇利にとってアルコールはそんなに苦のないものだった。食前酒を飲み、前菜が終わりメインが運ばれたときには既に異変が顕著になっていた。
「空条君、君ね~、あまりいい噂聞きませんよ~、先生は嘆かわしい!」
 目のとろけ具合とその口調で勇利はすぐに察する。たった一杯の食前酒で突然の変容を遂げた弥に勇利は開いた口が塞がらない。
「カスイケメンとか、女性の敵とか、触れられたら妊娠するとか、そういう風に言われて恥ずかしくない訳? あ、言っておきますけどね。私、酔ってませんからね?」
 酔っ払いの常套句とクラスメイトの真摯な評価を吐きながら、弥は起用にフォークとナイフを扱いハンバーグを食べる。しぐさだけ見ると酔っている感じはしないが、言葉と目が確実に酔っ払いモードとなっている。これまでも酔った女性を幾度と見てきたが、弥のパターンは初見でどう接してよいか困惑していた。

 無事に食事を終えると駅構内の待合室で酔いを醒ます。もっとも、酔っているのは弥だけだが、勇利も酒の影響で少し高揚気味でいる。水を買い与えしばらく様子を見ていると、溜め息交じりに弥は口を開く。
「ごめんね、私お酒入るとちょっとハイになるのよ」
「いやいいですよ。誰だって酒飲んだらそんなもんですから」
「ううん、未成年の空条君にまで気づかずお酒を出しちゃって、しかも夜の八時まで外出させるなんて教師失格だわ……」
「食前酒は大丈夫ですって。それに今時の高校生で夜の八時なんて遊び盛りの時間帯ですよ」
 慰めてみるが弥は本気で落ち込んでおり、勇利の方が申し訳なくなり頭を掻く。真面目を地で行く弥だがそこが勇利のドキドキポイントでもあり、改めて好きになったことを良かったと思う。掛ける言葉を脳内で選択していると弥の方から切り出す。
「ねえ、空条君。迷惑ついでに一つ話を聞いてもらっていい?」
「はい、もちろん」
「うん、ありがとう。これは私の友人の話なんだけど……」
 友人の話と聞いた瞬間、勇利の中では弥本人の話なのだと推察する。女性が回りくどい言い方をした場合、たいていは自身の話であると経験上心得ていた。
「彼女には大学時代から付き合っている男性が居た。将来、結婚しようって考えるくらいのね」
 恋人と結婚という二つ単語にショックを受けるが黙って耳を傾ける。
「でも、数ヶ月前に破局したの。彼の夢と彼女の夢がぶつかっちゃって。彼は海外赴任と同時に結婚し着いて来て欲しかった。でも同時期に彼女はずっと夢だった教師に採用され、その狭間で悩み葛藤し結果、夢を選んだの」
 弥の過去を聞き、どれだけ教師に本気だったのかを知る。
「まあ夢を選んだって言えば格好は言いけど、本当のところは彼との人生を想像できなかったことが大きかったんだと思うわ」
「人生を想像って?」
「簡単に言えば、一緒に暮らし生活し苦楽を共にして死んで行く過程ね。彼とはそういう未来のビジョンが全く湧かなかったのね。ちょっと変わった人だったけど悪い人ではなかったし、誠実で真面目で世間から見ても申し分のない男性と言えたと思う。でも、将来を通して考えたとき隣にいる人ではないって感じた。これは価値観とはまた違った縁って言うか、運命みたいなものね。理論とか理屈とかじゃないのよ」
 自分に言い聞かすかのように弥は語り、勇利は今まで聞いたことのない人生論を真剣な表情で聞き入る。
「彼女は念願の教師になった。でも、頭の片隅にはいつも彼に対して申し訳ない気持ちも持ってる。嫌いで別れた訳じゃない。むしろ直前まで結婚を考えてくれていた彼だもの。彼の気持ちは察するに余りある。教師という職に就き遣り甲斐を実感する日々を送っている彼女だけれど、反面罪深い人間だって苦悩し自分を責めてる。ねえ、空条君。もし君なら、こんな罪深い彼女に対してどんな言葉を掛ける?」
 思いもよらなかった弥も告白に戸惑う勇利だったが、自分の本心を素直に口にする。
「俺なら、気にするなって言います」
「どうして? 彼女は身勝手に彼を傷つけ、自分の夢を追ったのよ? 責められるべきじゃない?」
「その点はフィフティフィフティですよ。仮に彼女が彼の夢の賛同した場合、傷ついたのは彼女だ。彼も夢を追い、彼女も夢を追った。そして二人とも傷ついてる。何があっても恋愛はフィフティフィフティ、って言うのが俺の持論です」
 はっきりと自分の意見を言い切る勇利を見て、弥は目を見開き驚きの表情に変わる。勇利はそんな弥の変化を気にせず続ける。
「それに、結婚まで考えた相手なら、相手の幸せを願うのが本当じゃないでしょうか? 彼が良い男っていうのなら、教師になるって夢を叶えた彼女を祝福し応援していると思います。少なくとも俺はそう思うし、彼女もきっと彼を応援してるって思う。だから、気にしなくていい。その、先生の友人にもそう伝えてやって下さい」
 勇利は穏やかな表情で語り、弥の瞳には涙が溢れる。涙を隠すかのようにそっぽを向くとポツリと言う。
「ありがとう、そう伝えておくわ……」
 弥の涙を見て告白する気持ちはどこかへ飛んで行く。しかし、感謝の言葉を受け今はただ弥の側に居られることに満足していた。