第31話(side story 26)


 一次試験を無事合格し、気の抜けないまま二次試験へと進む中、たまには弥のことも気にかけねばと思いデートに誘う。案の定、ずっと我慢していたようでデートという単語を聞いただけでパッと表情に花が咲く。
 今年の夏は気象予報士の予想を覆し連日の猛暑となり、夏らしい夏となっていた。商業的には暑い方が経済も周り良いのだろうが、受験生にとっては夏休みもなくただひたすら鬱陶しいだけだ。
 涼しいショッピングモール内で楽しそうに買い物をする弥を見守りながらも、頭の中では試験への緊張感も走る。次の試験次第で教師になれるかどうかが決まるのだ。免許自体は卒業と同時に取得できても、教師として採用されなければ意味がない。現役で受かることに、純子が元気なうちに受かることこそが恩返しだと勇利は固く誓っていた。
 内心あるプレッシャーを紛らわすようにモール内の噴水をボーっと眺めていると、先を歩いている弥がスーツ姿の男性に声をかけられている。ナンパや勧誘の可能性を考慮し急いで傍に駆け寄ると男性の方が意外そうな顔を向ける。
「えっと、もしかして弥の彼氏さん?」
 弥を知っているふうに語るその男性は親しげに見つめており勇利の心もざわつく。
「はい、彼は私の彼氏です」
 堂々と言ってのける弥に安堵しつつも、気になり男性に問い詰める。
「貴方は?」
「申し遅れました。僕は弥の婚約者、中野圭(なかのけい)と言います」
 爽やかで礼儀正しい挨拶を受け心地よいと同時に、婚約者という単語に驚きも隠せない。弥も同じ気持ちのようで目を見開き圭を凝視している。それを察したのか圭はバツが悪そうに口を開く。
「なんかお二人の邪魔をしたみたいで申し訳ないです。でも、どうしてもお聞きしたいんですが、彼女は本当に君島弥ですか?」
 事件のことを知っており疑問に感じての問いだと勇利は即座に察する。
「はい、彼女は正真正銘君島弥さんです。数年前に事故で騒がれましたがあれは別人だったんです」
「そうですか、それは良かった。僕は当時海外にいて駆けつけられなかった。何より信じたくなかった。大切な弥が亡くなったなんて……」
 事情の知らない弥は訝しげな顔をするが、婚約者と別れ圭が海外赴任したことは勇利しか知らない。それよりも大切な弥と称していることで、圭がまだ弥に想いを寄せている可能性が湧き内心に焦りが生まれてくる。返答に困っていると圭の方から話を切り出してくる。
「失礼ですが、貴方のお名前はなんと?」
「申し遅れました、空条勇利と申します」
「空条勇利君……、お若そうですが学生さんですか?」
「はい、来年大学卒業です。今は教員採用試験の二次を間近に控えています」
「なるほど、合格すれば春から教師ですか、素晴らしいですね。弥と同じ道を歩んでいる訳だ。やはり弥の影響ですか?」
 値踏みするかの如く質問を投げかけられ、勇利も相手の真意を測りながら返答をする。
「弥さんは僕の高校時代の担任で恩師です。その頃から導かれて今があります。教師になることが夢であり恩返しだと思ってます」
「なるほど、学生時代からの付き合いですか。じゃあ僕が海外赴任しなければ今の空条君はなかったとも言えますね」
「結果論ですがそうかもしれません。ただ、今僕らが恋人同士として愛し合っていることは覆しようのない事実です」
 圭の言葉から弥を諦めていない雰囲気を明確に感じ取った勇利は、対決色を鮮明に打ち出す。圭もそれに気がついており、その上でにこやかに話し掛けている。
「事実と言えば、僕と弥が七年前に婚約者であったことも事実で、僕の帰国を待って結婚すると約束したのも事実ですよ。まあ、弥は僕の存在を含め結婚の件も忘れているようですが、記憶喪失か何かですか?」
 結婚という言葉で一瞬動揺するが、過去の弥が話してくれた内容とは合致せず不審に思う。公園で話してくれた弥が別れにつき嘘をついていたのか、今の弥の現状を推察し記憶喪失を良いことに圭が婚約をでっち上げているか、いずれかの二択。瞬時に選択肢が閃き、圭の表情から後者だと睨む。
「その話には食い違いがありますね。弥さんと中野さんは話し合いの上、合意して決別したと聞いてますが?」
「それこそ食い違いですよ。彼女と僕は互いの夢をしっかり歩み、その上で帰国後結婚しようという話でしたから」
「僕には弥さんの記憶喪失を良いことに、中野さんに有利なお話をしているだけに聞こえますけど」
「心外ですね。そもそも、なぜ僕がここに居るか分かりますか? まさか帰国早々偶然ここで出会ったとでも?」
 言葉の意図が読めず考えていると予想外な言葉が飛び出す。
「弥のご両親から貴方の住まいを聞いて八王子まで来たんですよ。当然ながらご両親とは婚約時から面識がありましたし、帰国してからの結婚も話していましたからね。しかし、本当に驚きましたよ。お墓参りにと伺った先で弥が生きていることを知り、あまつさえ新しい彼氏までいるなんて。でも、生きているのなら僕との約束を果たすのが先でありそれが筋だと思う。空条君もそう思いませんか?」
 ホスト時代に鍛えられトーク術にある程度の自信を持っていた勇利だったが、目の前で微笑む圭に対しては今まで出会ったことのないくらいの手強さを感じていた。切り返しや頭の回転の速さはナンバーワンホストの蓮夜を彷彿とさせる。隣でじっと聞いていた弥だったが、ここに来て堪忍袋の緒が切れたのか二人の間に割って入り口火を切る。
「さっきから私抜きに好き勝手なことを言ってますけど、私は中野さんと付き合いませんし結婚もしません。最初に言いましたよね? 勇利さんが私の彼氏だと。勇利さん以外にお付き合いする男性なんて考えられません。ずっと想って頂いていたことは有難いことですが、これ以上はハッキリ申し上げて迷惑です」
 きっぱりと正論を言ってのける弥を本来なら嬉しく思うところだったが、今回の相手は容易に引く相手ではないと判断しており、案の定正論を覆す手を放ってくる。
「先に約束をしたのは僕と弥だし、優先順位が違うよね? 彼氏という地位は僕が主張できることだよ。それを否定することはつまり弥は浮気した上に婚約破棄という二重の背信行為となり慰謝料が発生する。それに、さっき空条君が言ったことが本当なら、高校生のときから付き合ってるんだよね? それって都の淫行条例違反だと思うんだけど?」
 勇利は反撃を予想しており心構えがあったが、弥にとっては想像を超えた反論だったらしく顔色が変わる。ホストとは全く違う一サラリーマン風に見えるその男の笑顔の下に、勇利は得体の知れない怪物の気配を感じていた。