第21話(another story)


 地球より遥か彼方。例えるならば大海原の海底に零れ落ちた一粒の砂。この一粒の砂と地球が同じ大きさと仮定した場合における、海底から月面までの距離。それよりも遥か遠くより俯瞰し存在している『それ』が居る。それは宇宙人でも当然人類でもなく、光る粒子の集合体ではあるが生命体でもなく名称すらない、『それ』としか表現のしようのない存在だった。
 それは宇宙の始まりをも俯瞰し観察してきた存在であり、宇宙の隅々にまで意識を到達させ、瞬時に移動も可能とさせていた。当初存在理由も意義もなかったそれだが、永きに渡る経験と知恵とにより、惑星の真理を獲得しその歴史を記録する存在となった。いわゆる神という存在に近くもあり、さりとて歴史に介入することもなく、地球が存在する遥か悠久の往昔より現在の状態を形成していた。
「身勝手極まりなく罪を繰り返し、成長もしない人間なぞ存在するに値せぬ」
 一つのそれは断罪する。
「中には信仰心篤く、志高き高貴な者がいるのも真理」
 一つのそれは擁護する。
「歴史を回顧してみても同じ事の繰り返し。大部分が成長せぬは明白」
 一つのそれは記録を元に語る。各々が意見を持っており、その集約が容易ならざることは理解していた。宇宙の法則に歪が生じ、地球の環境が大幅に変わることを予見したそれらは、今後の方針を論ずることにした。
 ただし、意見の差異はあれど概ねは既定通りで自然のままに任し、それが介入することは無いというもの。今までもこれからもそうあるべき存在だという点においては、ほぼ一致していた。
 一つのそれも異論なくそうあるべきだと思考する。惑星の数は限りなく、その消滅如何の度にそれらが関わる道理もない。今この瞬間に消滅する惑星もあれば、新たに生まれてくる惑星もある。地球という惑星も数多あるそれらの一つに過ぎない。
 普段はこのまま終わる論だったが、一つのそれが見た青い星は見過ごせぬ何かを持っていた。
「綺麗……」
 他はその一言を静かに聞く。それは続ける。
「おそらく、不完全かつ矮小で頼りない存在の懸命に生きてゆく様が、この惑星の本質。完全でないからこそ感じる美しさ」
「完全なる美しさと不完全なる美しさ。それもまた真理。さりとて運命は変わらぬ」
「自然の法則に従い、流れのまま滅び行きを見守るのも真理。けだし、美しさを見出し朽ちるを惜しいと感じ介入をよぎるも真理」
 介入という言葉を聞いたそれらは一瞬押し黙り、少しの思考の後一つのそれが語る。
「例外なきこと。この惑星が特別美しいという訳でもなし。例え挙げれば数多ある星の一つ。介入は道理に非ず」
「されば介入し例外を例外とせねばよい。数多は所詮は数多。唯一とは非ず」
 一つのそれが語る論に、その他も新たな思考を始める。しかし、基本とされる概念は強く、それの一つは問う。
「我らは創造主に非ず。見守り歴史を紡いで行く存在。その中にある極めて小さな惑星の歴史に介入する道理は何処か」
 問われたそれは沈黙の後に答える。
「明確な道理は非ず。道理が分からぬゆえ、人として介入しその道理の本質を確かめたく思うのが真理」
 それ自身が介入に乗り出すという発言を受け、すべてのそれらはざわめき立つ。
「そなたの論は法則から逸脱している。何を欲してのことか」
「問われれば、魅せられたと表現しようがなく。純粋に惜しいと感じたまでのこと。他意など無し」
「まるで人のような思考。到底多数の賛同が得られるに非ず」
「承知。けだし、嘘偽りなき真理。これもまた法則の一部と見受ける」
 一歩も引かないそれの発言は他に影響を与え始め、同調するそれらも現われる。それは頑なに地球への積極的介入を主張するが、歴史の法則を乱す行為として反発するそれと激突していた。長きに渡る論の後、一つのそれが切り出す。
「なれば、我が監視役をすれば済む話。異論あるまい」
「問題あらば、そなたも責を免れぬは道理」
「異存なし」
 覚悟を決めたそれの回答が、場を決着させた。当初は分の悪かった介入推進派だったが、決着時には半々にまで盛り返し例外が成る。推進を提起したそれと、監視役を買って出たそれは解散された場にて言葉を交わす。
「監視役、痛み入る」
「問題なきこと。されど一つ問いたい。介入の真理はこの場で論じたもので相違ないか? よもや裏があるまいな」
「相違ない。ただ純粋に惜しいと感じたまで。問題あらば容赦なく断罪されるがよい」
「我にそのような権限などない。つぶさにそなたの動向を監視するのみ」
 それの回答を聞くと、瞬きの間も無い刹那の時を経て地球の監視区域までに到達する。しばらくは沈黙のまま眺めていたが、それは呟くように言う。
「綺麗……、宇宙に映える青い雫。やはり朽ちるに惜しい」
 それの意見に差し挟む道理もなく、同じ感想を抱くがそうも言っておられず眺め続けるそれに問う。
「して、これから如何する。脅威を取り除くのみならば造作ないが」
「それではただのエゴとなる。せめて同じ人としての時間を共有し、救うに値するかを見極める」
「奇特な行動にしか思えぬが、止めもせぬ。我はここより監視するのみ」
 それの意思を聞き終えると同時に、介入を決めたそれは光の粒子を凝縮し人型へと形成していく。光が収縮し終えた中心には黒髪の成人女性がおり、キラキラと光る蒼い双眼で宇宙空間を見廻す。形成が落ち着くと女性はそれに向かって語りかける。
「どれほどの時を有するか分からぬが、我が目で見て直接に人として地球を体感し介入の是非を決断する。もし、監視がつまらぬものならばそなたの一存で歴史を早めて貰っても構わぬ」
「危惧には及ばず。されど、そなたが我々の法則から鑑み逸脱した行為をなした時は容赦なく止めさせてもらう」
「既に逸脱しておると思うのは我だけか?」
 女性は光輝くそれに対して冗談めかし、笑顔を見せる。それは何かを言いたげな雰囲気をしたが沈黙を守り、地球へ降りて行く女性を見送っていた。

「さて、これからどうすべきか……」
 人間になったそれは、人気の無い山の頂に降りると眼下に見える風景を見下ろす。そこは車や人が大来しており、賑やかな街の一場面が見られる。人類が現在の文明に至るまでの道程は記録の中にあり、これから先に迎える結果までもがそれには理解できていた。
「全生命と共に青い世界が崩壊するまで、およそ半年。流れに身を任せて俯瞰するか、崩壊直前まで時の流れを加速させるか。否、やはりここは、人として同じ時の流れに身を投じるが筋か」
 それができることは、時の加速、時の逆行、物質化能力、身体の可変等の他、いわゆる超能力と言われる部類のことは全て可能としていた。しかし、それらの能力を使ってしまっては、ここに人として降り立った意味もなく、身を投じる方針を決めた瞬間から能力を封印することにする。唯一の自動防衛機能として、どの様な形にせよ人として生命の終わりが生じたときのみ全機能が再起動し、最初の状態に戻るように設定した。
「心臓の停止と再起動を関連づけておけば問題なかろう。仮に重大な事象が生じた場合でも監視役がどうにかしてくれるだろうし」
 機能の制限を掛けようとした瞬間、今現在の自身の姿を鑑みて考える。
「流石に全裸というのはマズイのだろうな。ここは文献に倣って最初の人間アダムとイヴとやらの服装をチョイスするか。形成につきランダムに選択されたこの身は日本人のようだが、イヴと称した格好でも問題なかろう」
 記録にある映像から服装を選択し瞬時に物質化し着用を済ます。真っ白な民族衣装姿で山道に降りると、足の裏からひんやりとした土の冷たさが伝わってくる。
「しまった、靴の物質化を忘れた。我ながら抜けているな。いや、確か文献に靴の表示はなかったような。人間になった途端に記憶力まで落ちるとは……、実に面白い」
 初めての経験ばかりとなるこれからに少し浮かれながら、それは軽い足取りで山道を降りて行った。