第20話(side story 17)


 ホスト時代に真紀の口から放たれた以来、久しぶりに聞く君島という単語に心が揺さぶられるのを感じる。それと同時に、夏休み中に距離を置かれた理由もそれだと推察する。
「誰から聞いた?」
「クラスメイトから。本当なんですね?」
「ああ、事実だよ」
「よくおめおめと復学できましたね」
 初めて見る攻撃的な麻帆の雰囲気に驚く面もあるが、復学当初より想定し覚悟をしていた件でもあり素直に受け入れる。
「まあ、人生っていろいろあるんだよ。復学も運命だと受け入れてる」
「他人の人生を滅茶苦茶にしておいて、自分自身は夢に向かって充実した日々を送ってるなんて、教師以前に人としてどうかと思います」
「相変わらずハッキリものを言うな。三浦さんらしいっちゃらしいけど」
 平然と受け答えする勇利とは反対に、その厳しい表情から麻帆がイライラしているのが見て取れる。
「前に言った教師に向いている発言は撤回します。貴方が教師を目指すなんて論外もいいところ。世のため人のために諦めてホストにでもなればいい」
 ホストという単語でいつも勇利を野次っていた同僚の顔が浮かび思い出し笑いをする。当然その様子に麻帆はキレる。
「何が可笑しいんですか!? 貴方は己の言動を省みるということをしないの? 厚顔無恥もいいところです!」
「三浦さんが怒ってる顔、初めて見たよ。意外とチャーミングだね」
「空条君!」
「三浦さん、怒っているところ悪いんだけど、逆に一つ質問していいかな?」
「えっ?」
「三浦さんは自分自身をどう評価してる?」
 突然の質問に麻帆の思考は停止する。
「例えば、冷静、頭の回転が早い、計算高い、記憶力が良い、足が速い、優しい、思い遣りがある、自己顕示欲が強い、奉仕精神がある、頑固等々、良くも悪くも自分自身はこういう人間像だ、みたいなものを皆少なからず持ってると思うんだけど?」
「それが何なんです?」
「俺の勝手な見立てで間違ってたら悪いんだけど、三浦さんは聡明で人を見る目もあると思ってる。記憶力も抜群で学業において俺が敵うことはないだろう」
 いきなりの褒め言葉を受けて麻帆は少し照れる。勇利もそれに気がついており、褒めることで冷静さを引き出そうと考えている。
「そして、自分で物事を考えて結論付ける処理能力も高い。勉強を教えるのが上手いのもこれを証明してると言えるな」
「……、何が言いたいの? 遠回しにしないでストレートに言って」
「流石、察しがいいね。つまり俺が言いたいことは、クラスメイトからもたらされた言葉や評価と、この二カ月程三浦さん自身が実際に俺と話したりして行動を共にしてみて感じた評価、どちらを信じるかってこと」
「つまり、クラスメイトの言ってることが嘘だとでも言いたいの? でも、空条君、さっきこの話は事実だって言った」
「事実だよ。俺の中でも君島先生が殺された原因は俺だと思ってるし罪悪感を一日たりとも忘れたことはない」
「…………、詳しく聞いてもいい?」
「重い話になってもいいって言うのなら」

 ホスト時代では向かい合えなかった弥の事件だが、教師になるという目標を決めてからの勇利は前向きになっていた。殺害された原因が今でも自分自身にあるという点は揺るぎないが、だからこそ弥の願いでもあった教師になることが恩返しであり罪滅ぼしという考えに昇華していたのだ。
 誰も通らない渡り廊下で、事件の背景や教師になろうとした流れや意志を淡々と語る。聞いていた麻帆は驚いた表情をしていたが復学にあたっての経緯や勇利の強い意志を聞き涙する。
「俺は絶対に教師になる。そうしないと、ホスト時代にお世話になった人にも、君島先生にも顔向けできないからな。だから、三浦さんに教師に向いてないって罵られようが、俺は絶対に諦めない。他人にどうこう言われて諦めるような夢なんて夢じゃないと思うしな。って、ちょっとカッコつけすぎか」
 勇利に問いに麻帆は首を横に振る。
「ごめんなさい。空条君はやっぱり教師に向いてるわ。事件の表面だけ聞いて貴方を判断したことが恥ずかしい」
「いや、世間ではそれが普通だから。それに俺が原因で亡くなったという事実は変わらない」
「空条君……」
 贖罪と決意の入り混じる強い意志を勇利の横顔から感じ、麻帆の胸は熱くなっていく。
「ねえ、空条君」
「ん?」
「もしかして、まだ君島先生のこと愛してる?」
「さあ、どうだろうか」
 はぐらかされた回答の奥にある肯定に麻帆も気がつくが、敢えて知らないフリをする。中庭から流れる蝉しぐれを遠くに聞きながら、麻帆は生まれて初めて恋が終わる痛みを知った――――


――現在、崖下を見下ろしながらも勇利の思考は近くある教員採用試験のことで頭がいっぱいだ。大学入学から三年が経過し念願だった教師という職業へ着実に進んでおり、このまま行けば夏にある試験もなんとか突破できるだろうと踏む。
 高校からの付き合いでもある麻帆とは未だに友人関係にあり、サークルは違うものの同じ公立大学に通っている。麻帆が自分に対して好意を持っていることは何となく理解できるが、そのくせ距離を置いた立ち位置を高校時代から堅持している。元々告白されても誰とも付き合うつもりはないが、麻帆の場合はそれを見越して距離を取っている感があり、ある意味上手い付き合い方をしてくれていると思う。
 一方、自分のことをすっぱり切って他の男と付き合ってくれた方が彼女も幸せなのではとも考える。何にせよ、麻帆が今の状況を望んでいるのならそれに応えるのみであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 サークルの部長でもある松浦譲(まつうらじょう)が登山再会の号令をかけると、各々が再び歩き始める。譲とは同学年で入学以来からの付き合いということもありお互いに遠慮なく言い合う間柄となっていた。崖から景色を眺め続ける勇利の背後に立つと、譲は声をかける。
「おい、勇利、もう行くぞ」
「ああ、分かってる」
 きびすを返し山道に戻ると譲と並んで歩みを進める。教師になるという目標や過去のことは麻帆を除くと、この譲のみが知っており勇利のことを良く理解してくれていた。譲本人も過去に恋人を病気で亡くしており、その点でもお互いに共感できる部分があったと言える。譲の下らない話を聞き流しながら歩いていると、右の林の奥に一瞬白い影が見えたような気がする。
「今、あっちの方で何か居なかったか? 目の端で捉えた程度なんだが」
「ん? 林の方か? いや別に」
「そうか」
「つーか、あっちは山道でもないし、崖しかないからな。行くヤツなんて居ないだろ」
「そうだな」
 思い直すと勇利は歩みを山頂へと進めた。そこへ後輩の宇佐美明希(うさみあき)が逆走する形で二人に駆け寄って来る。
「部長、何やってるんですか? 分岐があって皆そこで待ってますよ?」
「おお、皆早いな。すぐ行くよ」
 嬉しそうに返す譲の横顔を見ると勇利はすかさず切り出す。
「悪い、さっきの崖にデジカメ忘れてきたかもしれない。念のため見てくるから二人で先に行っててくれ」
「いや、俺も行くよ。登山での単独行動はご法度だぞ」
「すぐだから大丈夫。じゃあな」
 譲の返事もそぞろに勇利は颯爽と元来た道を降りて行く。取り残された譲と明希は顔を見合わせクスりと笑う。
「何も登山のときまで気を遣わないでいいのにな、アイツ」
「そうね。でも、私はちょっと嬉しいかも」
 見つめ合うと二人は軽くキスをして仲良く手を繋いで登って行った。

 崖の手前まで戻ると勇利は白い影を見た林をじっと観察する。譲の言う通り、林の奥には何もなく普通に考えれば人が居るとは思えない。しかし、遭難者が迷っての行動だとすれば視認した可能性は出てくる。
 こんな鬱蒼とした林の中で、白い物体を見間違いだと断定するの危険な気がすると同時に、遭難者だった場合を想定すると早目の対応が必要になってくる。勇利は自分の勘を信じ、薄暗い林の奥へと歩みを進めた。